水2大学院研究演習

今日は、プレイヤード版p.1184の上から8行目まで、読みました。構築についての一般的・抽象的な考察が行われている部分です。「レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説」を書いているヴァレリーには、人間の認識行為と構築行為(芸術制作)全般における、ある法則…

今日は、プレイヤード版p.1182の下から14行目まで、読みました。構築という意識的な行為の豊かさを知るためには、想像力の様々な経験、知的・感情的な様々な経験が不可欠であることを、ヴァレリーは得意の攻撃的列挙の文体を使って、強調していました。「序…

今日は、ヴァレリーの「レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説」で展開されている想像力論とも関係深い、言語表現の問題について、明日開催予定のベネディクト・ゴリヨ先生の講演の議論(あらかじめいただいたテクスト)を紹介しながら、フランスの現代詩人たち…

今日は、プレイヤード版p.1181の16行目まで、読みました。現代人の専門性とレオナルド的精神の普遍性を対比的に論じた部分です。専門性を長く続いた感覚のマヒ状態に譬えるところには、ヴァレリー自身による専門性への強い批判が感じ取れます。このあと、テ…

今日は、p.1179の下から3行目まで、読みました。人体や顔に対するレオナルド的精神の注意深い観察を語る口ぶりは、やはり、詩的エクフラシスのそれです。特に、プラタナスの木を人体との関連で描き出すシーンの上昇と下降の勢いの感覚、そして、人間の顔とい…

今日は、プレイヤード版p.1178の下から8行目まで、読みました。詩的なエクフラシスが続きます。特に「飛ぶ人間」の部分は、「序説」末尾の『鳥の飛翔に関する手稿』からの引用文と合せて、ヴァレリーにおけるレオナルドのイメージのなかでも、決定的に重要な…

「レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説」読解の続きです。今日は、プレイヤード版p.1177の19行目まで、読みました。「序説」のなかでも、特に書き手ヴァレリーの詩人的要素が活き活きと感じられる、いわば昂揚した部分です。参照されているレオナルドの図版を…

今日は、プレイヤード版p.1176の上から5行目まで、読みました。p.1174からp.1175にかけての1930年の欄外注のテーマは、一言でいえば、物理学におけるイメージ(図形)の後退とシメトリー(数式)の前景化です。詩人ヴァレリーはイメージの後退という現状に寂…

開講しました!

ヴァレリーの「レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説」のつづきを読みます。今日は、第23段落の終わり(プレイヤード版p.1174の下から11行目)まで、読みました。形象化(連続的な値による表現)が不可能になる事態に対して、それを認めたくない気持ちが、1895…

今日は、前回までで「レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説」の冒頭部をひととおり読み終えて、区切りがよいので、最終回とさせていただきました。最後に授業評価アンケートを実施しました。今日はいわば特別篇ということで、冒頭部三段落分の生成過程およびデ…

今日は、第四段落の途中、p. 1157の本文25行目まで、読みました。伝記の作り方として、博識の方法ではなく、仮説構築の方法をとると宣言する部分です。思考についてのテクストである「レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説」は、思考の劇を描き続けたメタポエム…

今日は、「序説」第二段落の終わり(p. 1156の2行目)まで、読みました。「われわれ(nous)」を語りの人称として用いて一般的な地平を述べた第一段落からは一転、今度は、「わたし(je)」を語りの人称として、「ある人間」を想像する試みが始まります。本…

今日は、「レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説」の第1段落の読みの続きです。当面、1895年の初出と1938年の決定版テクスト(1957年のプレイヤード版は、「序説」と「注記と余談」の順番をクロノロジーに合わせて変えているほかは、この1938年の「著作集版」の…

今日は、ヴァレリーのデビュー評論「レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説」のテキスト・クリティックの概観として、プレイヤード版の後注を参照しながら、初出や諸刊行本(実物)を紹介してみました。時間順に全部で六つの版があります。重要なのは、初出(189…

今日は、「レオナルドと哲学者たち」を、無事、読了しました。ヴァレリーの込み入った思考に丁寧についていくのは骨が折れますが、それでも、テクストの明快さを感得できたときは爽快な気持ちになります。ヴァレリーの理論的散文も、ヴァレリー自身が基本的…

今日は、p.1268の上から7行目まで、読みました。言語では抜け落ちてしまう連続性の表象が、図形や音楽では可能であることを述べた部分です。「連続性を表象できるcapable du continu」という表現は、前に読んだ、絶えず変化する思考の、その変化の連続性を表…

今日は、p.1266の14行目まで、読みました。哲学者は自分の思考をなんとかして言葉に固定しようと努力するが、言葉はその努力に応えることがない……。古来、すぐれた哲学者たちによって、さまざまな語が創造されてきたが、それらは文脈で決まる暗号だ、とヴァ…

今日は、ヴァレリーの「レオナルドと哲学者たち」の続きで、p. 1264の8行目まで、読みました。一般には、たしかに、言語なしに思考はできないとされるが、しかし、さらに仔細に見れば、言語ではとらえきれない思考があることに気づく、とヴァレリーは言いま…

今日は、p.1263の1行目まで、読みました。p.1262の後半では、言語なしでは思考できないという考え方が繰り返し展開されていましたが、以下、ヴァレリーはもう一歩つっこんで、思考が慣習的な言語では捉えられなくなる瞬間をめぐって、考察を深めていきます。…

今日は、p.1261の上から4行目まで、読みました。ヴァレリーのテクストの書き方、というか、一般に、フランスの作家のテクストの書き方には、一定の基本的な作法のようなもの(基本的な作文テクニックというか作文レトリックのようなもの)があって、シンメト…

開講しました!

本日、開講しました。前期に引き続き、今期もヴァレリーの「レオナルドと哲学者たち」を読んでいきます。今日は、p.1259の一番下まで、読みました。レオナルドにとって絵画こそが哲学であったというくだりです。夏休み中に少しだけパリの国立図書館に寄って…

最終回

今日は、1992年のミシェル・アキアンの論文を概観し、「ナルシス〈断章〉」草稿の観察から判明するヴァレリーの詩作技法の特徴三点――(1)脚韻から始めること、(2)転置の多用、(3)入れ替えの多用――について、簡単に追ってみました。(2)と(3…

今日は、セレレット=ピエトリの論文「ナルシスの変貌」(1974年)を、ついに読み終えました。ヴァレリーの作品「ナルシス断章」の研究論文としては、全体で20頁と短いながらも、内容的には、情報量の豊かさと思考の緻密さの点できわめて濃密であり、教えら…

今日は、セレレット=ピエトリ論文のp.23の節の切れ目のところまで、読みました。夜になって肉体と離れざるをえないナルシスの魂の嘆き、肉体と本性を共有する(ルクレティウス)がゆえにそれとの別離は耐えがたい魂の苦悩。肉体の復活を激しく望む魂という…

今日も、セレレット=ピエトリ論文の読みの続きです。p.21の真ん中、節の終わりまで読みました。細部の濃密な分析が凝縮したかたちで言及され、全体の論の道筋を見失いそうですが、なんとか持ちこたえて、読み進めています。1920年の事件で混乱した〈自我〉…

今日は、セレレット=ピエトリ論文のつづき、p.18の下から7行目まで、読みました。「1920年の事件」(カトリーヌ・ポッジとの恋愛事件)が「ナルシス断章」の制作の過程でいかに大きな出来事であったか、その事件の痕跡がいかに深く刻み込まれているか、こま…

今日は、セレレット=ピエトリ論文のつづき、p.16の一番下まで、読みました。こういう、情報の詰まった濃密な文章を読むのは、かなり疲れますが、しかし、資料やロジックの確認などをしながら寄り添って読むと、そのディスクールの形と意味が理解できると思…

今日は、セレレット=ピエトリ論文のつづきで、p.15の真ん中下Fragileの前まで読みました。意識の話や鏡像の話は難しいですが、おそらく、このあたり、「カイエ」の記述を頼りに、一歩一歩、手探りしながら論が進んでいるという印象を受けます。続く節(ナル…

今日は、「ナルシス〈断章〉」をめぐるニコル・セレレット=ピエトリの1974年の論文の読みに入り、p.12の真ん中下まで、読みました。自分を見る自分というナルシスのテーマは、「二重化」を前提とした「意識」の問題系とダイレクトにつながる、というのが論…

 開講しました!

今期は、ヴァレリーの「ナルシス〈断章〉」についての研究論文をいくつか読んでみようと思います。今日は、さっそく、1974年のニコル・セレレット=ピエトリの論文「ナルシスの変貌」と1992年のミシェル・アキアンの論文「〈断章〉の断章」のコピーを配付し…