ミケランジェロの詩

 ヴァレリーのコロー論も後半に入ってきました。自発的自然(自由闊達)は征服の果実であるというオクシモロン的一句について、ヴァレリーは得意の言説を展開します。p. 1339の内容は、すでにみたp. 1333のシンプルさの定義の部分と同じです。馬術の達人ボーシェのエピソードを思い起こしながら読むとわかりやすいはずです。芸術家の考え(意図)と素材を加工する技術・手段とのあいだのきわめて内密な照応関係について引用されるのがミケランジェロの韻文詩二行です。直訳すると「どんなにすぐれた芸術家でも、ひとつの大理石が宿さないような考えを抱くことはない」となります。ジャルティ先生の脚注によると、このミケランジェロの二行は『ドガ ダンス デッサン』でも引用されていて、そちらのほうの脚注では「その考えを具現できるのは知性に従順な手だけである」という続きの一句も紹介されていました。ヴァレリーはおそらくポーの短篇小説でこの引用文を知ったらしいとのことです。ミケランジェロ、ポー、コロー、ドガ、そしてヴァレリー。熟練の芸術家というひとつの系譜が浮かんでくるようです。