2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

今日は、「午前一時に」を読み終わり、第12篇「群衆」をひととおり読みました。群衆に湯浴みすることの詩学を語ったこの一篇、ラスト部分で、植民地の創設者とか世界の果てに派遣された宣教師とかのことが語られるのですが、素朴な感想として、それまでのと…

今日は、p.1245の下から12行目まで、読みました。1244頁のところは、ヴァレリーの芸術論でも重要な部分です。哲学的美学が二つの対立する観念に分離してしまうところの諸要素(たとえば物質と精神とか意識と無意識とか……)のあいだに、芸術家たちは、活発な…

先週は、アントワーヌ・コンパニョン先生の講演会にお集まりいただき、誠にありがとうございました。おかげさまで、とても充実した勉強の機会となりました。さて、今日は、「ナルシスは語る」の最後まで、読みました。主客のイメージが一体化する表現がでて…

今日は、ボードレールの『パリの憂鬱』の第10番、「午前一時に」の読みに入り、37行目まで、読みました。9番の「駄目なガラス屋」の「私」も理想・夢想や鬱屈・倦怠を感じながら自室にいましたが、この10番の「私」も深夜、今日一日のあれやこれやのくだらな…

今日は、「レオナルドと哲学者たち」の続きで、プレイヤード版第1巻のp.1243の下から4行目まで、読みました。関係節の多い、息の長い文章、しかも抽象的な表現の多い文章が続きますが、芸術と哲学(美学)との断絶を際立たせるヴァレリーの文章の息遣いは熱…

今日は、「駄目なガラス屋」のテクストを最後まで、読みました。「花の鉢」が「私の戦いの武器」となってガラス屋を天罰のように垂直に襲います。ウーセイ宛の序文や、ウーセイの「ガラス屋の歌」を読んだあとで、この印象深いシーンについて改めて考えてみ…

今日は、「レオナルドと哲学者たち」の続きで、p.1242の下の一行空きのところまで、読みました。前回やや急いだ部分の復習にゆっくり時間を費やし、ヴァレリーのアンチモデルニテ論の例を、「ドガ ダンス デッサン」と「イタリア美術展に寄せて」から選んで…

今日は、「ナルシスは語る」の第6詩節の終わりまで、読みました。水鏡に映ったイメージとしてのナルシスと、それを眺めるナルシスとの、二人のナルシスの対峙が、次第に緊張感を帯びてきます。来週22日はアントワーヌ・コンパニョン先生の講演の準備のた…

今日は、ボードレール『パリの憂鬱』第9番「駄目なガラス屋」の後半に入り、p.120の74行目のところまで、読みました。相変わらず息の長い文が続きますが、文の骨格(主語名詞と述語動詞)をつかんで、残りの飾り部分、細部の関係を丁寧に読み解けば、全体が…

今日は、ヴァレリーの評論「レオナルドと哲学者たち」の続きで、p.1241の下から13行目まで、読みました。実効性のある知のみが知として認知されるようになって以来、倫理学や美学といった形而上学はいにしえの力を失い、また、新しさ、烈しさ、奇妙さ(無意…

今日は、前回の復習(とりわけマラルメの詩『エロディアード』とのintertextualite(間テクスト性)についてやや詳しく説明)をしたのち、ヴァレリーの詩「ナルシスは語る」の第2詩節の終わりまで、読みました。定型詩の約束事や修辞法の基本に触れながら、…