2007-06-01から1ヶ月間の記事一覧

グランド・ランドネ

今日は第6課を終えました。フランス語で「ランドネ」というと、イメージとしては、日本語の「遠足」とか「ハイキング」といった軽めのニュアンスから、「トレッキング」とか「ワンダーフォーゲル」といったややヘビーなニュアンスまで含んだ、少し幅のある…

第十一回19世紀(1)

今日はフランス革命直前のボーマルシェ『フィガロの結婚』と、革命後のシャトーブリアン『ルネ』、コンスタン『アドルフ』について、それぞれ発表していただきました。ボーマルシェの原作とモーツァルト作曲のオペラ台本を書いたロレンツォ・ダ・ポンテのテ…

発表(1)

受講生の皆さんによる、都市の文学をめぐる発表の第一回。今日はまず、男性のS君が井原西鶴『世間胸算用』について、当時の社会状況が鮮やかに描かれている点に触れたあと、人情話の側面が際立つ「小判は寝姿の夢」の特異性を指摘し、その背景として、西鶴自…

p.29の10行目、「趣味」の最後まで読みました。バルトによる精神分析批評擁護が長い一文(p.27下四行目からp.28下3行目まで)で展開されます。結局、精神分析批評に対する旧批評の無知は時代を超えたひとつの体質であるとバルトは断じますが、一方で、精神…

マントの色は緑だった

第5課を終えました。『星の王子様』の「著者による挿絵」は、実は、ニューヨークで刊行された初版を除いて、著者サン=テグジュペリによるオリジナルではなかった。パリのガリマール社がフランス版を出す際、オリジナルは行方不明となっていたため、挿絵画…

第十回18世紀(2)

今日はまずアベ・プレヴォーの『マノン・レスコー』(1731年)についてH君の周到な発表がありました。「摂政時代(1715−23)を知る早道は『マノン・レスコー』を読むことだ」と言われるらしく、実際に、同時代の諸状況が作品の場にヴィヴィッドに反映されて…

来週からの皆さんによる発表を前に、今日は、「パリ文学名場面集」と勝手に題して、三つの有名な情景を小走りに眺めました。まず「野心」。バルザック『ゴリオ爺さん』のラストシーン、ラスティニャック君がペール・ラシェーズ墓地の高みから上流社交界地帯…

今日はp.27の10行目(Orの前)まで読みました。「客観性」に続く「批評的もっともらしさ」(旧批評)の第二の規則「趣味」の暴力性について、バルトの批判が展開される部分です。オブジェ(対象、モノとしての言葉)について語ることを禁じる「趣味」は、と…

第4課を終了。ピレネーグマの絶滅を回避するため、繁殖用の雌のクマをスロヴェニアから輸入することになったけれども、エコロジストや観光業者のような賛成派もいる一方で、クマによる損害を懸念する牧羊業者たちが、強硬な反対を繰り広げている、というお…

第九回18世紀概観(1)

まず年表をもとに18世紀の流れをざっと概観したあと、ヴォルテールの『カンディード』、ディドロの『ダランベールの夢』、そして、少し遡って16世紀のロンサール恋愛詩について、それぞれ発表していただきました。特にNさんの『カンディード』についての発…

今日は、まず、今後の授業の予定についてお知らせし、都市の文学をめぐる研究発表の割り当てを行いました。6月26日、7月3日、7月10日に、それぞれ二人ずつ、発表していただきます。人文社会総論のレポート作りと重なって大変かとは思いますが、こちらもよろ…

今日はp.20の13行目からp.24の5行目まで読みました。これで、「1965年の批評的もっともらしさの規則」のひとつめ「客観性」の節が終わりました。言語の象徴性を認めて、文字通りの意味のなかに、それと矛盾しない他の様々な意味を読み取る「権利」を持つのか…

まず、先週実施した中間試験の答案コピーを返却。実力問題についてざっと解説しました。個々の単語の意味がわかっても、全体の構文がつかめていないと、安定した解釈は出来ないなあ、と、実感してもらえたならば幸いです。あとは、テキストの第3課、フランス…

第8回17世紀概観(3)

今日は、まずラ・フォンテーヌの『寓話』について、ルソーによる批判を紹介しながら、大人向け、しばしば宮廷人向けの風刺がこもっていることを指摘したTさんの発表、続いてラ・ロシュフーコーの『箴言』について、人間の抜きがたい自己愛のテーマと理性の…

駐日フランス公使プノ氏講演「欧州連合―フランスからの視点」を聴く

今日は、講演会を聴きました。東北大学創立百周年記念事業を兼ねた講演会ということで、多くの方々が来ていらっしゃいましたね。ところどころ眠くなってしまう部分もありましたが、トルコの加盟問題に話題が向いたときだけは頭が覚醒しました。さすが外交官…

まずピカールpp.57-58を読んでから、バルトpp.17-20(12行目)を読みました。ピカールはバルトの用語法を前に苛立ちを隠しませんが、バルトも負けてはいません。文学批評の「客観性」を保証するはずの「明証的外部」に関するピカールの言葉を捉えて、バルトは…