2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧

今日は、フローベールの小説『ボヴァリー夫人』第2部第8章の有名な「農事共進会」の場面をゆっくりと読んでみました。政治の紋切型言説と恋愛の紋切型言説とがパラレルに展開され、双方の言葉の空虚が浮き彫りになるという、じつに印象深いところで、何度読…

今日は、「レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説」の第1段落の読みの続きです。当面、1895年の初出と1938年の決定版テクスト(1957年のプレイヤード版は、「序説」と「注記と余談」の順番をクロノロジーに合わせて変えているほかは、この1938年の「著作集版」の…

今日は、「セミラミスの歌」の第14詩節まで、読みました。アウロラの目覚めの促しに応えてセミラミスが覚醒し起き上がります。帝国の女主人はお気に入りの塔にのぼって、自分の都市国家を見降ろします。その時、彼女の魂の力は無限です。今日読んだ部分では…

今日は、前回に引き続き、ボードレールについての特別篇として、5月22日に開催された、アントワーヌ・コンパニョン先生(コレージュ・ド・フランス教授)の講演会「写真映りのよい詩人―ボードレールの現代性」のDVDをプロジェクターに映し出して、ほぼ全…

今日は、ヴァレリーのデビュー評論「レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説」のテキスト・クリティックの概観として、プレイヤード版の後注を参照しながら、初出や諸刊行本(実物)を紹介してみました。時間順に全部で六つの版があります。重要なのは、初出(189…

今日は、「セミラミスの歌」の第5詩節の「肉体の打ち勝ち難い横糸」という表現をめぐって、ホワイティングさんの注釈をじっくり読んでみました。「アンヌ」では男の影が濃厚でしたが、「セミラミスの歌」では、特に冒頭部においては、男の影や性的なもののイ…

今日は、ボードレールの散文詩「駄目なガラス屋」における間テクスト性について、吸収したモデルとしてのポーの「天邪鬼」と反抗すべき敵としてのウーセイの「ガラス屋の歌」を紹介し、ボードレールの作品テクストと並べて、眺めてみました。こうして、関係…

今日は、「レオナルドと哲学者たち」を、無事、読了しました。ヴァレリーの込み入った思考に丁寧についていくのは骨が折れますが、それでも、テクストの明快さを感得できたときは爽快な気持ちになります。ヴァレリーの理論的散文も、ヴァレリー自身が基本的…

今日は、「アンヌ」の残りを読み終えたのち、「セミラミスの歌」に入り、とりあえず第5詩節の終わりまで、読みました。「アンヌ」から「セミラミスの歌」への接続は、眠る女のイメージと、曙の訪れと目覚めというテーマで、じつにスムーズに行われていると思…

今日は、バルザックの『ゴリオ爺さん』から三つのシーンを取り上げて、読みました。この小説の主人公は二人いて、ひとりはタイトルにある「ゴリオ爺さん」、もうひとりがラスティニャック青年です。授業では、うぶなラスティニャック君に世間での成功のため…

今日は、p.1268の上から7行目まで、読みました。言語では抜け落ちてしまう連続性の表象が、図形や音楽では可能であることを述べた部分です。「連続性を表象できるcapable du continu」という表現は、前に読んだ、絶えず変化する思考の、その変化の連続性を表…

今日は、「アンヌ」の続きで、プレイヤード版所収の全十三詩節のヴァージョンを第九詩節まで、読みました。ところどころイメージがつかめない部分は残りましたが、全体として、眠る裸婦像と、女と男たちのエロス的緊張の劇が、抽象的な語彙と具体的な比喩に…