水2大学院研究演習

今日は、先週、急ぎ足で読んだ部分について、参照資料を紹介しながら、詳しく復習しました。ヴァレリーの『若きパルク』の草稿はフランス国立図書館の電子図書館「ガリカ」で読むことができます。ジャルティも詳しく説明している草稿第一頁をプロジェクター…

開講しました!

ヴァレリーの代表作『若きパルク』(1917年)を読む授業が始まりました。この2月に出版されたばかりのミシェル・ジャルティ編によるポッシュ版『ヴァレリー作品集』第1巻(今月下旬に第2巻と第3巻が出て全3巻が揃います。発表時代順にテクストが置かれた待望…

今日は、ヴァレリーの「パスカルの〈パンセ〉の一句をめぐる変奏曲」(雑誌初出は1923年)に付された註(1930年バランシエ版初出)の残りを全部、最後まで読みました。譲歩構文をたくさん並べれば並べるほど、最後に来るイイタイコトの一文のパワーが強くな…

今日は、p.466の上から8行目まで、読みました。作家・詩人・修辞家としてのパスカルという側面をなぜ人は見ようとしないのか、ヴァレリーにとって論理的に自明に思えたことを自明とは認めたくない人々によって、ヴァレリーの論はだいぶ叩かれたようですが、1…

今日は、1930年に付された註の続きで、p.464の2〜3行目あたりまで、読みました。ヴァレリーは時々、ne〜rien qui ne…「…でないような何物も〜ない」という一種の誇張法を使います。たとえば、「このテクストからほとんど不可避的に導きだされないような何物…

今日は、1923年発表の「パスカルのパンセの一句をめぐる変奏曲」の本文に対してヴァレリーが1930年に付した註の読みに入り、p.459の真ん中まで、読みました。二番目の注が少し込み入っていましたが、遠回りの言い方ながら、ヴァレリーはパスカルは大多数の人…

今日は、本文のラスト(p.473の最後)まで、読みました。「心」は(〈神〉を)発見し、「精神」は(〈システム〉を)探究する。パスカルは(〈神〉を)発見したが、それは、探究しなかったからだ、というのが、この論文のヴァレリーの一貫した態度です。途中…

今日は、「パスカルのパンセの一句をめぐる変奏」の続きで、プレイヤード版テクストのp.470の下から12行目まで、読みました。日中と違い、夜は、思考と事物との連結が切れて、人は星空を前にぼうっとするしかないけれども、人間の感受性はこうした茫然自失の…

今日は、p.467の終わりまで、読みました。最初に、1930年刊行のバランシエ版の現物(岐阜大学図書館所蔵)をお見せしました。薄く色づいた透かし入りオランダ紙に印刷された265部のうちの一冊です。1923年のテクストを見開き左頁に大きな活字で組み、1930年…

今日は、p.465の終わりまで、読みました。p.465の2行目の「industrie」は「産業」ではなく「巧妙な技」の意味です。6行目でヴァレリーは「tutoyer」していますが、この親密さは同業者意識に基づくものかもしれません。続く段落でも、ヴァレリーの原理的な作…

今日は、p.463の空白部以下の第一段落の終わり(renonciation totale)まで、読みました。物理や数学の才能をさらに発展させることなく、夜空の恐怖を文章に紡ぎ、一切への絶望を語る男。その文章の美しさと、その男の「完全な自己放棄」(パスカルの「メモ…

今日は、プレイヤード版のp.460の終わりまで、読みました。まず、パスカルの問題の断章(「この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐怖させる」)について、ミシェル・ル・ゲルン版(フォリオ)の注を紹介しました。この注によると、パスカルのこの断章の「私」は…

開講しました!

後期はヴァレリーのパスカル論「パンセの一句を主題とする変奏曲」を読みます。初回の今日は導入として、プレイヤード版の注(pp.1738-1739)を読みながら、刊行テクストの変遷や、他の関連テクストを紹介しました。来週から、まず、1923年の本文を通して読…

今日は、テクストの残りを最後まで、読みました。デカルトの『方法序説』の文体、言葉遣いについて、きわめてシンプルで人間的と評したヴァレリーは、その誇り高くしかも親しみ深い言葉には「効果」や「計略」はない、と言っています。言外に、パスカルの文…

今日は、ヴァレリーの1925年の短い文章「デカルト断章」を、p.789の14行目まで、読みました。ヴァレリーはアドリアン・バイエによる『デカルト氏の生涯』(1691年)をよく読んでいたようです。デカルトの友人メルセンヌ師が暮らし、デカルトのパリの宿でもあ…

今日は、1937年の国際哲学会における『方法序説』300年記念講演「デカルト」のラスト(p.810の4行目)まで、読みました。最後のところで、ヴァレリーは、現代にデカルトが生きていたら、複雑化し、巨大化した科学をうまく包摂しうるような方法を見つけること…

今日は、ヴァレリーの講演「デカルト」の続きをp.807の下から9行目まで、読みました。デカルトのCogitoを自己激励の合言葉と捉える、なかなか感動的な部分です。「われ思う、ゆえに、われ在り」という有名な言葉の魅力は、まさにそうした、デカルトの全存在…

今日は、ヴァレリーの1937年の講演「デカルト」の続きをp.806の3行目まで、読みました。p.804の下のほうで「彼について考えることは不可避的に我々について考えることになる」とヴァレリーは述べていますが、これはまさしくヴァレリー自身の批評原理そのもの…

今日は、p.804の真ん中の「実験の可能性」まで、読みました。デカルトの運動量の式は、その後ライプニッツによって洗練・訂正され、最終的には運動エネルギーの式へと包摂されることになりますが、ヴァレリーは、デカルトの式のかたち(質量と速度の〈積〉)…

今日もヴァレリーの講演「デカルト」の続きです。今日は、p.802の下から2行目まで、読みました。デカルトの渦動説(近接作用説)とニュートンの万有引力説(遠隔作用説)との対比など、科学史的な基礎知識がないと、やや読みにくいところでした。その点、岩…

今日は、p.801の下から1行目まで、読みました。デカルトの「方法」の意義について、ヴァレリーが明快に語っている部分です。デカルトの方法の成功をパスカルは少し妬んだかもしれないというくだりは、ヴァレリー得意の、パスカルに対する辛口評です。幾何学…

今日は、ヴァレリーの1937年の講演「デカルト」の続きで、p.800の上から13行目まで、読みました。哲学を言語芸術とみなし、思考の形式を重視するヴァレリーの立場が繰り返し強調されています。p.799の下のほうで、デカルトが人間的事象の現況の主な原因とな…

今日は、p.798の真ん中、段落の切れ目まで、読みました。精神の生活、純粋に知的な生活に言及した部分に「理解への渇望、創造への渇望」という記述がありますが、これは、たとえば若いころにヴァレリーが描いたレオナルド・ダ・ヴィンチの知的生活を思い出さ…

今日は、p.797の上から3行目まで、読みました。p.796で、精神の生活そのものの愛好家は、精神の外的産物(著作や作品など)よりも、精神の運動そのものを見るのを好む、という部分は、ヴァレリーの1895年の評論「レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説」のなかの…

今日は、先週の続きで、ヴァレリーの講演「デカルト」を、p.795の真ん中(Nous pouvonsの前)まで、読みました。ヴァレリーは基本的に詩人であるせいか、散文においてもイメージに富んだ比喩的な表現をよく用います。その点が、おそらく、彼の文章の大きな魅…

開講しました!

当面、デカルトとパスカルについてのヴァレリーの文章を同時並行的に(あるいは交互に)読んでいく予定です。今日は、デカルトの『方法序説』(1637年)刊行300周年を記念して開催された第9回国際哲学会でのヴァレリーの講演「デカルト」(1937年)の読みに…

今日は、「レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説」のラストまで、読みました。ファラデーを紹介するマクスウェルの文章を引用するヴァレリーは、「見ること」、形を捉えること、イメージを思い浮かべること(想像力)を最大限に重視しています。この論文は結局…

今日は、p.1194の上から12行目まで、読みました。建築物の外的平衡から分子レベルの内的平衡まで、建築する人は思いを馳せるというあたりから、空間が空虚でなく充満しているという空間論に進み、そこでヴァレリーはレオナルドの手稿の一句を引用します。空…

今日は、p.1190の上から9行目まで、読みました。話題は絵画から建築に移ります。ほとんど文明の同義語と言ってもよい都市を構成する大建築物と、レオナルド的知性との関係を活き活きと描いているpp.1188-1189の部分は、久しぶりに「ヴァレリー節」が炸裂して…

今日は、プレイヤード版p.1186の上から6行目まで、読みました。「装飾」をめぐる総論部分がひとまず終わり、続いて、各論的なかたちで、絵画、建築が論じられます。ヴァレリーの芸術論には、力学的な比喩が効いています。今日読んだところでは、作り手におけ…