2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

美的経験の一般的分析

コロー論を読み進めて来て、突然、高度に抽象的な美的経験論が開示される箇所に突き当たり、今日はその箇所のテクストの模様を丁寧に眺めてみました。使った方法は昨日触れた「比較断章法」というやつです。テクストのかたまりがある程度大きいマクロ的な比…

比較断章法(パラレルシュテレンメトーデ)

先週お配りした「二つのテクストを並べて読む」ことの実践例として、ボードレールの「駄目なガラス屋」というテクストを、まず積極的受容論の観点から、エドガー・ポーの「天邪鬼」と比較し、その形式と内容の類似点に着目して、ボードレールのテクストがポ…

研究方法における流行の問題

コンパニョン『文学の第三共和政』の第二部の後半を読み進めています。今日は『ブヴァールとペキュシェ』における歴史・政治の問題という研究の観点について、コンパニョンさんが1980年代の初めに次のように言っていた点に注目しました。「フローベールの政…

コローの眼は深い!

ヴァレリーのコロー論の続きです。今日読んだところでは、完全写実派(書かれてはいないけれどもメソニエ系)、写実感覚派(コロー系)、要素再構成派(ドラクロワ系)の三分類が記されたあとで、自然を描くコローの凄いところについて、ヴァレリーはたいへ…

二つのテクストを並べて読む

振り返ってみると、私がこれまでに書いてきた論文の多くは、二つのテクストを並べて読む経験、あるテクストに別のテクストを重ね、相互の反響・照応・対話から読み取ったことがらを言葉に記したものだった、ということに気づきます。 私の学部卒業論文は、フ…

『ブヴァールとペキュシェ』は『政治教育』である

コンパニョンさんの『文学の第三共和政』第2部後半のフローベール論に入って第二回目となります。フローベールの『ブヴァールとペキュシェ』と『感情教育』という二つの作品の執筆計画は一八六三年において競合していたけれども、結局フローベールは『感情教…

完璧なケンタウロスがやってくる!

コロー論の続きです。p. 1333の下のほうで語られるボーシェのエピソードはヴァレリーのお気に入りの話で、このコロー論だけでなくドガ論のなかでも言及されます。複雑をきわめた事物と数多くの試みの末に到達するシンプルさの境地とはすなわち理想の極限点で…

翻訳のない最新の基本文献は宝の山!

今日は、あくまでもフランス語原文の正確な解釈に努力するのが第一になすべきことであって、直接的な研究の対象とはならない翻訳との付き合いはほどほどに、というお話から始めました。続いて、原文が大事といっても、その原文テクストそのものが揺れ動く場…

『ブヴァールとペキュシェ』第6章「政治」の章をめぐる考察

コンパニョン『文学の第三共和政』の内容を読み取る授業の続きです。今日はp. 257の*の前まで、読みました。第6章の前では二人の好人物は幸せでしたが、第6章のあと幸せではなくなります。ブルジョワ社会の愚劣さに気づく前と後、その中間に来る事件とは何…

シンプルさは、複雑で数多くの試みを前提とした理想の極限であること

今日はヴァレリーの「コローをめぐって」の続きをp.1333の下から10行目まで読みました。ドラクロワと比べると控え目に見えるコローですが、その精神の特徴を一言でいえば「シンプルさ」であるとヴァレリーは言います。しかし、この「シンプルさ」は芸術の方…

「書誌が最初で、序論が最後」が論文執筆の本当の順序

休み明けの今日は、前回の補足として、書誌(参考文献・文献目録)の重要性についてお話しているうちに、それで終わってしまいました。ランソンの弟子筋にあたるであろうエミール・ブーヴィエとピエール・ジュールダの『フランス文学学生要覧』(初版1936年…