水2大学院演習

最終回の今日は、無事「マネの勝利」のテクストを最後まで読み終えることができました。マネによるベルト・モリゾの肖像画が「詩」であることを、ヴァレリーは音楽に関係する単語を多用しながら、説明していきます。注目したいのは、調和ばかりでなく不協和…

今日は、ヴァレリー「マネの勝利」の続きを、p.1359の下から2行目まで、読みました。マネによるベルト・モリゾの肖像画についてのヴァレリーのテクストは強烈です。何よりもまず「黒」が印象的だと述べる段落の次の段落で、幅広の黒いリボン飾りが喪帽のうえ…

今日は、前回読んだヴァレリー「マネの勝利」の「巨匠」の定義部分を再読し、瞬間と永遠を同時実現する作品を作る大芸術家がその定義となっていることを確認し、ボードレールの現代性概念、マラルメの芸術論、そして二人の先輩大詩人に連なるヴァレリーの芸…

年内ラストの今日は、ヴァレリーの「マネの勝利」の続きを、ポッシュ版p.1358の下から4行目まで、読みました。今日読んだところではp.1358の二番目の段落のilが誰を指すのか曖昧な気がするという素朴な疑問から出発して、素直に、かつ丁寧に読んでみれば、こ…

今日は、マネ論の続きを、p.1357の最後まで、読みました。ゾラとマラルメの対比です。一番強烈なのは『ドガ ダンス デッサン』でも触れられる有名なエピソードですが、このマネ論ではさすがにヴァレリーも直接触れることは控えています。ジャルティ先生が脚…

今日は、ヴァレリー「マネの勝利」の続きを、p.1356の下から9行目まで、読みました。《オランピア》をめぐる数行は、じつに奥深い記述になっています。古代的な巫女としての表象は「神聖な恐れ」の感覚を裏打ちするものです。ボワローへの参照は、これまで『…

今日は、前回の復習をしながら、まず、1919年の「精神の危機」における「モデルヌ」の定義を紹介し、それが1932年のマネ論の記述(p.1354冒頭の数行)と内容的には同じであることを指摘しました。続いて、ボードレールの詩とマネの絵の対応関係について、具…

今日は、ヴァレリーの1932年のマネ展カタログ序文「マネの勝利」の続きを、p. 1354の一番下まで、読みました。ボードレールとマネが、共に、近過去のロマン主義と近未来の写実主義の臨界点に位置した芸術家であり、二人の親近性はその臨界性にあり、二人の間…

今日は、ヴァレリー「マネの勝利」を、p.1353のBaudelaireで始まる段落の終わりまで、読みました。ヴァレリーは、ボードレールによるマネ評価を大いに評価しています。実際のところはいくらかニュアンスをつけてみておく必要があるらしいことは、ジャルティ…

今日は、1932年のヴァレリーの評論「マネの勝利」に入り、p.1352の下から8行目まで、読みました。ジャルティ先生による解題(導入解説)も合わせて読みました。担当者の方に詳しい資料をご用意いただき、特に、本文冒頭の「寓意画」のモデルについて、ファン…

今日は、断章「裸体について」の最後まで、読み終えました。最後のところでヴァレリーが提起していた問題は芸術家の自我の問題です。彼自身「解決不可能」としつつ、その問題がリアルで豊かな意味を持つものと考えています。ヴァレリーの生涯にわたる「カイ…

開講しました!

ヴァレリーの『ドガ ダンス デッサン』の断章「裸体について」の前半を復習し、後半の読みに入り、p.540の上から6行目まで、読みました。先般水声社より刊行された『ヴァレリーにおける詩と芸術』所収の拙論について紹介させていただきました。ヴァレリーが…

前期最終回の今日は、ヴァレリー『ドガ ダンス デッサン』の断章「裸体について」の前半部を読みました。まず裸体が一般にどのように受け入れられてきたかを述べたあとで、画家にとっての裸体がきわめて重要なオブジェであることに触れて、三人の画家(ティ…

今日は、先週の続きで、ヴァレリー『ドガ ダンス デッサン』の断章「床と不定形なものについて」の後半部を読みました。大芸術家におけるインスピレーション全開の稀な瞬間では、感受性と芸術手段が即応した融合状態に達するけれども、それは断片的でしかあ…

今日は、断章「床と不定形なものについて」をp.535の下から8行目まで、読みました。特に「私は時折、不定形なものについて考えた」で始まる約一頁分の段落は、ヴァレリーの芸術論の根本が述べられている部分です。何物にも似ていないものとは、既知の部分に…

今日は、ヴァレリー『ドガ ダンス デッサン』の断章「ドガについてのベルト・モリゾの思い出」を読みました。短い断章ですが、様々な参照を含んだ、濃密なテクスト、味わい深いテクストでした。「自然に従った」エチュードを否定するドガの芸術哲学(それは…

今日は、ヴァレリー『ドガ ダンス デッサン』の断章「デッサンはフォルムではない……」を読みました。ドガが文人の芸術批評を非難するために好んで引用したというプルードンの言葉の原典を担当の方に探していただき、ジャルティさんが脚注で引用している部分…

今日は、ヴァレリー『ドガ ダンス デッサン』の断章「ロマン主義」を読みました。担当の方による詳しい説明がたいへん有効で、読解の細部を支えてくれました。小林秀雄はヴァレリーの文章をかなり自家薬籠中の物にしていることがわかります。基本は「メチエ…

今日は、ヴァレリー『ドガ ダンス デッサン』の断章「絵画史の要約」を読みました。「デーモン」はいたずらっぽく絵画の流行を誘導しているようです。写実主義から印象主義へ、印象主義からキュビズムへ、その先には再びルネッサンス風の絵画が再評価される…

今日は、ヴァレリー『ドガ ダンス デッサン』の断章「風景画その他についての考察」を最後まで、読みました。ヴァレリーはひとつのことがらを言うために、いくつも例示を重ねたり、比喩や並行関係を示す構文を頻用したりします。さまざまな表現を通して主張…

今日は、ヴァレリー『ドガ ダンス デッサン』の断章「風景画その他についての考察」の続きを、p.564の9行目まで、読みました。p.563の6行目の「場所は歌う。」という一文については、対話篇『ユーパリノスまたは建築家』や評論『レオナルド・ダ・ヴィンチ方…

今日は、ヴァレリーの『ドガ ダンス デッサン』から「現代芸術と大芸術」の続きを読み、少し戻って「風景画その他についての考察」の冒頭部を読みました。「大芸術」の定義に続く説明の部分を詳しく読むと、どうやらキアスム(交差配列法)のレトリックが効…

今日は、ヴァレリー『ドガ ダンス デッサン』から、断章「現代芸術と大芸術」の第1段落から第3段落まで、読みました。単語ひとつひとつ、構文など、表現のかたちに注意を払いながら、ゆっくり読んでみると、一見何気なさそうな散文が韻文詩に近い濃度を帯び…

今日は先週に続いて、ヴァレリーの「大芸術家」論の実際を、具体的なテクストに基づいて説明しました。ドガが、ダ・ヴィンチやホルバインからアングルまでに至る厳密なメチエの制作美学の系譜に入ることを確認しました。次回からヴァレリーのエッセー『ドガ …

開講しました!

文学者による芸術批評・芸術家論をめぐる授業です。具体的には、当面、ヴァレリーのドガ論を読んでいきます。今日は導入として、ヴァレリーの「大芸術」論のさわりを紹介し、ダ・ヴィンチ論とドガ論が連続している点を指摘しました。お配りした引用原文の予…

今日は、ヴァレリー『若きパルク』の最終節となる第16節(465行目から512行目まで)を読みました。ハッピーエンドと言ってよい大団円でした。タナトスからエロスへ、墓のイメージから太陽のイメージへ。生きて、心臓の拍動を称賛する結末部は、「海辺の墓地…

今日は、ヴァレリー『若きパルク』の第15節(425行目から464行目まで)を読みました。眠りに落ちていく様子の描写です。最後の「夢のディスクール」は、やはり夢を描いた散文詩『アガート』の世界と少し似たものがあります。さて、前期から読み継いできた『…

今日は、ヴァレリー『若きパルク』の第14節、381行目から424行目まで、読みました。幻の死を夢想する前半部では、パルクの白い裸身が血の海に接吻している(浸っている)という凄惨なタナトス的光景が喚起されていましたが、後半部では、生命への回帰、蛇へ…

今日は、ヴァレリー『若きパルク』の348行目から380行目まで、読みました。第12節でも第13節でも、生と死のテーマの対比が明瞭です。島々の花は生命力にあふれて美しいが、深いところでは島々の足は凍りついている、とか、心拍音が、枯葉のかすかな震えの音…

今日は、ヴァレリーの詩『若きパルク』の334行目から347行目まで、読みました。前回に引き続き、高橋俊幸さんの丁寧かつ説得的な解説を紹介させていただきました。342行目から343行目の、小舟で魚をとる漁師のイメージについては、レジーヌ・ピエトラの解説…