今日は、1923年発表の「パスカルのパンセの一句をめぐる変奏曲」の本文に対してヴァレリーが1930年に付した註の読みに入り、p.459の真ん中まで、読みました。二番目の注が少し込み入っていましたが、遠回りの言い方ながら、ヴァレリーパスカルは大多数の人々や子供たちのような、幸運な一撃の数々(見事な言葉の生起)に気づかない人間では断じてないこと、そうした詩的な言葉を常に探し、待ち構えている詩人たちの側の人間であることを強調しています。il s'en faut que A soit Bの構文には注意しましょう。「AがBであることはない」という意味です。詩人とそうでない人間との対比が浮き彫りになっています。パスカルは詩人の側にいます。それから、1930年版ではcet individu est leur lieu(それら幸運な一撃の数々が生起する場所)となっていて、意味的にはこちらのほうがlien(それら幸運な一撃の数々を結ぶ絆)よりは論理的にすっきりすると思います。では、また来週。