水4フランス文学概論

今日は、先週に続いてプルーストの『失われた時を求めて』から「スワンの恋」の一節を、読みました。冴えわたる心理描写とは、こういうテクストのことを言うのでしょうか。一読してすっきりしないけれども、注意深く再読すると複雑ながら真に迫ったリアルな…

今日は、プルーストの『失われた時を求めて』のプチット・マドレーヌ体験の一節と、「見出された時」の芸術哲学を述べたくだりを、読みました。戦慄、おののき、震え……、感動の要所要所でこの身体経験が反復されます。現像を待っているネガは私たちのなかに…

今日は、ランボーの『地獄の一季節』から、詩人物語「言葉の錬金術」を読みました。これは、詩人が自分の詩を引用しながら自分の詩学(あるいは詩の実存的な修行)について語る、メタポエムです。想像界で上昇と下降を繰り返す、その振幅の激しさが、ランボ…

今日は、マラルメの若い頃のメタポエム(詩人についての詩)を四つ、読みました。「陽春」「鐘突き男」「海の微風」「青空」です。理想の詩を書けない詩人が書けないことをテーマに詩を書いてしまうというところが面白いですね。友人カザリス宛の手紙にある…

今日は、ゾラの『居酒屋』を読みました。前回からの続きで、特に19世紀後半の小説の特徴といえる描写について、絵画との関係を考えながら、ゾラのテクストを詳しく見ました。色彩、光、におい、触感など、感覚に訴える表現がじつに多く、印象派絵画との親近…

今日は、フローベールの『感情教育』の冒頭を中心に、描写の特徴について解説しました。ジャック・ノワレのいう「視覚化」はここでも顕著でした。ルイーズ・コレ宛の手紙で、フローベールは、韻文のような散文を書くことが目標と述べていましたが、その点、…

今日は、フローベールの『ボヴァリー夫人』から有名な農事共進会のシーンを読みました。その前に、ジャック・ノワレによるフランス19世紀小説史の解説を少し紹介しました。18世紀以前の観念中心の小説に比べ、19世紀小説は現実の「見える化」に腐心するとい…

今日は、引き続きフローベール『感情教育』について、アルヌー夫人と出会うシーンを細かく分析してから、ポン=ヌフ橋で昂揚するフレデリックの姿に関するテーマ的読解を試みました。テクストが詩と同じ密度を備えているので、様々な批評がいくらでも可能で…

今日は、フローベールの小説制作論について触れてから、小説『感情教育』の冒頭部を丁寧に読んでみました。前回、フローベールの小説は言わば小説の小説というメタ性が際立っているというようなことを申しましたが、この冒頭部もやはりそのよい例です。これ…

今日は、フローベールの『ボヴァリー夫人』から第二部第八章の有名な農事共進会のシーンを、読みました。何度読んでも凄いところだと思います(特にフランス語原文で読むのがいいです)。言葉に関する批判的反省が作品となって結晶しています。時々、こうし…

今日は、先週に引き続き、バルザック『ゴリオ爺さん』から、ヴォートランの辛口処世訓と、ゴリオ爺さんを埋葬するラストシーンを、原文も味わいつつ、読みました。ヴォートランも、ジュリアン・ソレルと同じく、ボナパルティストであること、強烈な意志の人…

今日は、バルザックの『ゴリオ爺さん』から、ボーセアン夫人からラスティニャックへの出世指南、それと、ヴォ―トランからラスティニャックへの出世指南を途中まで、読みました。翻訳を読んでから、さらに、フランス語の原文を読むと、表現の効果の細部まで、…

今日は、スタンダール『赤と黒』から、レナル夫人の様々な描写に続いて、もう一人の魅力的な登場人物マチルドの人物像に迫ってみました。ジュリアン・ソレルとは身分が違いますが、才気と美貌、そして「幸福」の欠如の点において、マチルドはジュリアンとよ…

今日は、スタンダールの『赤と黒』のプリントの2番と3番を詳しく読んでから、レナル夫人とマチルドという二人の女性キャラクターをめぐって、さらに他の描写も追ってみたいと考え、皆さんにプリントを配り、レナル夫人をめぐる描写を二つほど読みました。田…

今日はゴーチエの回想「エルナニ」の残りをゆっくりと読んでから、いわゆる古典主義とロマン主義の対立図式について簡単に復習をしました。この図式が王政復古期の反革命派のイデオロギーによって強化されたかもしれない点について指摘しました。こういう思…

今日は、まず、ユゴーの1830年の演劇『エルナニ』第一幕第一場のテクストを読んでから、続いて、1872年執筆のゴーチエの『青春の回想―ロマンチスムの歴史―』から第12章「エルナニ」の初演回想部分の記述を、読みました。この概論の問題意識からは、ゴーチエ…

今日は、ロマン主義の代表的な詩として、ラマルチーヌの「みずうみ」を読みました。詩人自身の悲恋の経験に基づく個人的な抒情詩であるという点では、これまでに読んできた、ルソーやコンスタンのテクストと同じ、自伝的な作品であり、また、いずれも、至高…

今日は、コンスタンの『アドルフ』の第三章をすべて、読みました。エレノールへの愛が成就するところです。ルソーのテクストに見られたような、愛の絶対的幸福=人生の中の一瞬の光、という図式がここにも反復されています。しかし、コンスタンがこの小説で…

今日は、先週に続いて、ルソーの『孤独な散歩者の夢想』の第十章(最終章)を読みました。ルソーにおける自己形成の主題と、ヴァラン夫人との愛の幸福の主題という二つのテーマが対をなして交錯し、反復しながら出現するテクスト模様はまさしくソナタ形式そ…

開講しました!

今学期は18世紀後半から19世紀後半までのフランス文学の作品を取り上げる予定です。ゆらりとした共通テーマとして「自伝の文学」を特に考えていくつもりです。初回の今日は、近代的な自伝文学の嚆矢といってよいルソーの『告白』から、有名な「あ、ツルニチ…

今日は、サン=テグジュペリの「人間の大地」第7章から、不時着した砂漠をさまよい、水がなくなって死にそうになりながら、奇跡的に助かるシーンを、ゆっくりと読んでみました。この部分をよく読んでおくと、「星の王子様」の「砂漠がきれいなのは、どこかに…

今日は、カミュの『異邦人』の第一部と第二部のそれぞれラストシーンを、読みました。数多くの説得的な解釈を生んできた名作です。名作には、新しい文体の発明という側面が多かれ少なかれあると思いますが、「異邦人」の文体も新しいということを、ロラン・…

今日は、ヴァレリーの「レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説」の冒頭部を読み、そこに、デカルトの「方法序説」と似たところを読み取ろうとしてみました。ヴァレリーの「萌芽germe」はデカルトの「良識bon sens」とよく似た人間認識です。この先験的な原理はす…

今日は、ヴァレリーの1919年の文明評論『精神の危機』をめぐって、松浦寿輝さんの1992年の文章「ヴァレリーとベル・エポック」をじっくり読みながら、紹介してみました。古典主義的な美学を奉じるヴァレリーは過去を向いていますが、その文体そのものは極め…

今日は、セリーヌの『夜の果てへの旅』(1932年)の続きです。郊外の現実をハードボイルドに描いた部分は、現代のいわゆる「郊外問題」と構造が同じです。堀江敏幸さんのエッセイを紹介しながら、セリーヌにおける郊外のテーマを考えてみました。それから、…

今日は、ルイ=フェルディナン・セリーヌの自伝的小説『夜の果てへの旅』から、パリ郊外をテーマにお話しました。また、日本語訳では伝わりにくい、原文の持つ味わいを、少しだけ紹介しました。一人語りのもつ、独特のリズムや、親しみやすい俗語の多用、そ…

今日は、先週に続いてブルトンの『ナジャ』と『シュルレアリスム宣言』を、ゆっくり読んでみました。『宣言』のなかで称揚されている「不可思議なものle merveilleux」が、『ナジャ』で、実際に、ルポルタージュとして語られていると言えます。想像力の自由…

今日は、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』の導入の部分と、最初の出会いの一部を読みました。邦訳69頁で述べられている労働批判の考え方は、じつに興味深いものがあります。しかし、そのような批判に共感はできても、「いまわしい生活上の義務から労働を強い…

今日は、コレットの『シェリ』を読みました。新感覚派的な色彩表現や食べ物・飲み物の描写が二人の愛の描写と不可分であることを見ました。ちょっとしたディテールですが、レアがシェリのために取っておいてくれた「1889年」の古いシャンペンという記述が出…

今日は、プルーストの『失われた時を求めて』から「スワンの恋」のシーンを読みました。物語の構造は前に読んだマドレーヌ体験のところと似ています。それにしても、物語の展開はスピーディで、しかも滑稽、それでいて鋭い心理分析に満ちていて、とても味わ…