水2ヴァレリーと美術

今日は、最終回。先週に続いて、「コローをめぐって」のテクストを、p.158左側下から9行目まで、読みました。シンプルということの意味について、そして、コローにおける自然の位置について、味わい深い文章が続きます。人はそれぞれのキャリアがかなり進ん…

今日は、1932年のヴァレリーのエッセー「コローをめぐって」の読みに戻り、ランベール版でp.155の右側下から8行目まで、読みました。ドラクロワとの対比が鮮やかです。効果理論に熱心で、見る者・聴く者・読む者を圧倒しようとするドラクロワ、ワグナー、ボ…

今日は、予定を変更し、番外編というか補足編として、先日、パリに短期滞在した折に集めてきました、アンリ・ルアール関係の資料の一部をご紹介しました。まず、ルアールの没年1912年に刊行された、アルセーヌ・アレクサンドルという人物による著書『アンリ…

今日は、前回読んだレイの論文の最後に引用されていた、アンリ・ルアールの言葉について、それと非常に近い意味内容のヴァレリーの言葉(1937年のフランス哲学協会での講演「芸術についての考察」のなかの言葉)を、黒板に書き出してみました。思考の共振と…

今日は、ジャン=ドミニック・レイの論文の残りを、読み終えました。1933年に息子たちが企画したアンリ・ルアール生誕百周年記念展覧会のカタログにヴァレリーは序文を書いているらしく、p.24で、その文章の一部が引用されています。味わい深い文章です。こ…

今日は、レイの論文のp.22の終わりまで、読みました。リスボン街のルアール・コレクションを実地に眺めた経験が、19世紀画家をめぐるヴァレリーのさまざまな文章のうちに、十分に生かされている、ということが強調されていました。レイさんは、その一例とし…

今日は、先週残した部分を読んだ後、ジャン=ドミニック・レイによる論文「ポール・ヴァレリーとアンリ・ルアール」の読みに入り、p.19の下から3行目のところまで、読みました。知性の人という側面が強調されがちなヴァレリーですが、友情の人という側面も重…

今日は、ヴァレリーの1938年のエッセー「モンペリエ美術館」を読みました。ヴァレリーはセート生まれですが、リセと大学はモンペリエで過ごしていますので。この美術館には、よく通ったはずです。このエッセーでは、そこでどのような絵を見たかが簡潔に語ら…

今日は、1939年のエッセー「似ていることと芸術と」の残りを全部(p.227左側二つ目の段落からp.229左側の最終段落まで)読みました。肖像画の問題から一般的な模倣芸術の問題、デッサンの問題へと話が進み、デッサンの重要点が述べられます。p.228左側では、…

今日は、前回やや急いで読んだところをゆっくりめに復習してから、ランベールさんの版で「似ていることと芸術と」の続きをp.227左側ページの11行目まで読み進めました。ヴァレリーの味わい深い文章を急がずじっくり追いかけていると、ついつい、浮世の時の流…

今日は、1939年のエッセー「似ていることと芸術と」を、寺田透訳を参照しながら、途中まで(配付したテクストでいうと、p.226の右側8行目まで)読みました。前に読んだヴァレリーのエッセー「イタリアの芸術」(1935年)において見られた《現代芸術批判=古…

今日は、ランベールさんの文章の残り(p.131右側5行目からp.132ラストまで)を読みました。前半では、自身がなかなかのデッサン家でもあったヴァレリーがいわば内部から絵画制作の過程を考える視点を持っていたということ、そして、ドガという人間の神秘をめ…

開講しました

今日は、ランベールさんによる解説文のうち、p.130左側の後半部からp.131右側の上から4行目まで、読みました。ヴァレリーは1900年に、ベルト・モリゾの姪に当たるジャニー・ゴビヤールという女性と結婚します。この結婚によって、ヴァレリーは、モリゾ=マネ…

今日は、前期の最終回でした。先週の続きで、「イタリアの芸術」のp.172の右側下まで読みました。終わりまで読むことはかないませんでしたが、ヴァレリーによる強烈な現代芸術批判が、見事なレトリックで展開されている山場の部分(p.172)だけはしっかり読…

今日は、1935年の5月から7月にパリで開催された「イタリア芸術展―チマブーエからティエポロまで―」に寄せて、カタログの「序」として書かれたヴァレリーのエッセー「イタリアの芸術」をp.171の左側下まで読みました。激しい感情が満ち溢れたテクストです。ヴ…

今日は、「パオロ・ヴェロネーゼのフレスコ画」の残りを読み終えました。フレスコ画に描かれた虚構世界のほうは、壮大なオペラの魅惑を発揮しているのに対して、そのように壮麗な装飾に囲まれて暮らす実際の生活は、少々シンプルに過ぎるコメディーでしかな…

今日は、「パオロ・ヴェロネーゼのフレスコ画」というテクストに入り、p.149右側の下から12行目まで読みました。ヴァレリーは、現代(1928年当時)の小規模な芸術と比べながら、16世紀ヴェネツィア派の巨匠の大規模な仕事を実現させた諸条件について、発注す…

今日は、ランベールさんの紹介文を参考にしながら、ヴァレリーの若い頃の絵画体験を語るテクストをいくつか紹介してみました。ひとつは、1938年発表の「モンペリエ美術館」という短いエッセイです。様々な作家・作品のうち、「特別親しい付き合い」ができた…

今日は、断章3の終わり(p.31)まで、ひと通り読み終えました。諸芸術を考える上での基本的な「単位」あるいは「共通の尺度」としての「装飾」ornementについて語った部分です。ヴァレリーは13歳の頃から、オーウェン・ジョーンズの『装飾の文法』なる書物…

今日は、まず、断章1の補足として、1935年のフランス哲学協会でのヴァレリーの講演「芸術についての考察」から、1895年の『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』で説かれていた言わば「網膜主義」とでもいった基本姿勢の延長として捉えられる箇所、しかも、…

今日は、先週の続きで、p.26のテクスト1の残り部分を読みました。原典の第18段落と第19段落に当たるところで、相変わらず、奇妙に迫力のある文章が続きます。眩暈、陶酔、悦楽といった感覚的・官能的な言葉を用いながら、ヴァレリーは想像力の運動――見ること…

今日は、p.26の12行目まで読みました。観る人が想像へと上昇する様子を描いた部分。難解なところが多く読みにくいですけれども、たとえば、運動から形を見抜く想像力について記した箇所(特にp.25のl.3-8)は、さりげない書き方のようでいて、実は、とても凝…

久しぶりでした。今日は、ランベールさんの編集によるヴァレリー芸術論集から、1895年のデビュー論文『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』の読みに入り、p.24の右側中段〈…que lui donne la douleur.〉まで読みました。抜粋された部分は、1番の断章が、原典…

今日は、ランベールさんによる解説の部分からpp.18-20のあたりをやや詳しく読んで説明させていただきました。ランベールさんは、ネットで調べてみると、詩人・文芸評論家で、ロジェ・カイヨワについての研究書も書いているという方のようです。ヴァレリーを…

開講しました!

ポール・ヴァレリーは様々な芸術家たち(特に画家たち)と、たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチのような芸術家とは想像界で、また、ドガのような芸術家とは現実界で、親しく交わりながら、数多くの芸術論を書きました。この授業では、代表的なテクストをい…