今日は、まず、断章1の補足として、1935年のフランス哲学協会でのヴァレリーの講演「芸術についての考察」から、1895年の『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』で説かれていた言わば「網膜主義」とでもいった基本姿勢の延長として捉えられる箇所、しかも、表現がなかなか面白い箇所を紹介してみました。「アメーバのような魂」になってトロピスム的に絵画を享受するという部分は印象的でした。それから、断章2、構築論の部分に入りました。第34段落は書き方が第14段落と同じ、攻撃の文体です。否定的な例を列挙することによって、逆に、構築がきわめて意識的で豊かな行為であるということが浮き彫りにされています。続いて、構築の定義が試みられます。このあたり、よくわからない部分がありますが、結局、ヴァレリーは、構築という行為を広く一般的に考えようとしていることだけは確かです。素材によって構築の形態は様々ですが、「共通の尺度」は何かということを考えて、断章3の「装飾」論へと接続していきます。論理関係が必ずしもわかりやすくはなく、飛躍すら感じてしまう部分があって、苦しさを感じるところもありますが、今少し、おつきあいください。次回は、断章2の残りを読み、すぐ続く断章3を読む予定です。