久しぶりでした。今日は、ランベールさんの編集によるヴァレリー芸術論集から、1895年のデビュー論文『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』の読みに入り、p.24の右側中段〈…que lui donne la douleur.〉まで読みました。抜粋された部分は、1番の断章が、原典の第14段落から第19段落に当たるところで、ヴァレリーが、ものを見るとはどういうことか、という問題と格闘している、なかなか感動的でもあり難解でもある部分です。網膜によってではなく知性(概念)でものを見る大部分の人々に対する攻撃を繰り返した後で、では、ものを見る人とは、どのように見るのか、ということを、ヴァレリーは球体(眼球や脳のイメージがあるかもしれません)の比ゆや夢(主客未分化状態)の比ゆを使って述べていきます。ここはイメージを持ちにくいところなのですが、ヴァレリーが言語によるモデル化を精一杯やろうとしている迫力だけは伝わってきます(このあたりの記述には、散文詩の試み「アガート」の文章の質と共通したところがあるようです)。ヴァレリーのテクストは、しばしば、思考の臨場感とでもいったものをダイレクトに感じさせるような「リアリティ」を持っています。今読んでいるところが、まさにそれです。テクストの独特の苦しさにめげず、もうしばらく、彼の思考におつきあいください。