木2フランス文学各論&特論

今日は、コンパニョン『文学の第三共和政』の第10章「ドレフュスからプチ・ペール・コンブへ」の内容を読み取りました。ランソンとラヴィッスの相似性、また、ランソンとデュルケームとの相似性が語られていました。ランソンは社会主義への接近と民衆大学の…

今日は、コンパニョン『文学の第三共和政』の第9章「ドレフュスの僥倖」の内容を読み取りました。ドレフュス事件がランソンの栄光を後押ししたという話です。特に1898年の人権同盟とフランス祖国同盟の対立関係を軸とした人間模様には興味深いものがあります…

今日は、コンパニョン『文学の第三共和政』の第7章「大学における文学」と第8章「ランソン氏の驚異的大躍進」の内容を読み取りました。第7章では特に1901年11月8日のソルボンヌ開講講演の内容を詳しめに辿り、第8章では特に1894年から1904年までの十年間にお…

今日は、アントワーヌ・コンパニョン著『文学の第三共和政』の第6章「批評への辱め」の内容を読み取りました。古い文学批評(ブリュヌチエール他)からの離脱・超克の道のりを、ギュスターヴ・ランソンの時々の文章を参照しつつ辿りました。文学研究は「小さ…

今日は、アントワーヌ・コンパニョン『文学の第三共和政』第5章「文学史による救い」の内容を読み取りました。1894年のルネ・ドゥーミックの「軽い」論考がRHLFの記念すべき創刊号の巻頭論文だったことは、1876年のガブリエル・モノーの格調高い方法論宣言を…

今日は、アントワーヌ・コンパニョンの『文学の第三共和政』の第4章「あらゆるレヴェルでライヴァル関係にあった歴史家たちと修辞家たち」について、内容を読み取りました。特に、前半部では、ブリュヌチエールという文学派の代表的存在がいかに歴史主義的時…

今日は、第3章、権力の座につく歴史家たち、を読みました。ガブリエル・モノーとエルネスト・ラヴィッスについて、二人の人物像が活き活きと描き出されていました。方法主義を唱え、歴史学に新たな時代を開いた二人にも、次世代からすると、まだロマン主義的…

今日は、p.28の終わりまで、読みました。第1章では、ビュフォン、ミシュレ、テーヌ、ルナンというように連綿と続いてきた、文体=芸術が力を持った文学的な歴史から、セーニョボスとラングロワに代表される、方法を重視する科学的な歴史へと、覇権地図が大き…

今日は、『文学の第三共和政』(共和政か共和制か、後日決めます)の本文に入り、セクション1の途中、p.24の真ん中のガブリエル・モノーの名前が出てくるあたりまで、読みました。これから歴史家を中心とする固有名詞がたくさん出てきます。コンパニョンさん…

開講しました!

19世紀後半から20世紀前半のフランス第三共和政期の文学批評の歴史をたどる授業です。第一回の今日は、導入として、主要参考文献『文学の第三共和国』(『文学の第三共和政』と訳してもいいかもしれません→後日訳語を決めます)の著者アントワーヌ・コンパニ…

最終回

今日は、p.152の終わりまで、読みました。ヴァレリーのデビュー評論『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』初版、無事、読了です。今回、ミシェル・ジャルティ編によるリーブル・ド・ポッシュ版ヴァレリー作品集の第一巻所収のテクストを読んだわけですが、個…

今日は、p.150の下から4行目(第52段落の終わり)まで、読みました。ファラデー、マクスウェル、ケルヴィン卿、と、英国の三人の物理学者の話が続きましたが、ヴァレリーにとってこの三人はレオナルド的想像力の現代的具現者に他なりません。そして特にケル…

今日は、p.149の二番目の引用の終わりまで、読みました。空間に飛び交う線を見て取るレオナルド的想像力が数世紀の時を経て空間に力線の飛び交うさまを見て取るファラデー的想像力となって蘇る姿に感動するヴァレリーについて話しました。おまけとして、マク…

今日は、p.147の14行目まで、読みました。物質の構成についての分子・原子レベルの研究へと進んでいく19世紀末の科学知を取り込むヴァレリーの姿が垣間見られる部分です。建築物と分子モデルの相互乗り入れは芸術と科学の相互乗り入れを示す典型です。次回は…

今日は、p.145の下から6行目の終わりまで、読みました。建築と音楽の関連というテーマはのちの対話作品『ユーパリノスまたは建築家』にも出てきます。レオナルド的知性が戯れるくだりは、想像力の運動が活き活きと描かれていて、散文詩的な効果を持っている…

今日は、p.144の14行目まで、読みました。芸術享受、特に絵画鑑賞のありうべき方法について、ヴァレリー得意の皮肉がさく裂している箇所です。モーリス・ドニの表現との類似性の指摘は勉強になります。だんだん残り少なくなってきました。来週も予習をどうぞ…

今日は、p.142の15行目まで、読みました。「装飾」という一種の表現単位に注目して、諸芸術の歴史を総括的に捉える試みです。ヴァレリーは一時「装飾の歴史」という試論を構想していたらしいことが脚注に書いてあります。ジャルティ先生の新版の脚注は、新た…

今日は、p.141の上から6行目まで、読みました。「構築理論」をめぐる後半部のリードに当たる部分です。ヴァレリーが目指しているのは、制作一般についての共通尺度です。のちに「ポイエチック(制作論)」という表現を使うようになりますが、その企図はすで…

今日は、p.139の上から9行目まで、読みました。レオナルド的精神のじつに伸び伸びとした動きが活写されている箇所です。その普遍性が現代人の専門性との対比において浮き彫りにされていました。ヴァレリーは時々、こうした対照法を活用します。さて、高原の…

今日は、第27段落の終わり(p.136の下から2行目)まで、読みました。レオナルドの手稿を読んだ経験が文章に反映されています。一種のエクフラシスですね。とりわけ、第27段落は、「〜から〜まで」を表す表現がポワンヴィルギュルを多用していくつも列挙され…

今日は、p.135の上から14行目(第26段落の4行目)まで、読みました。私たちは世界を連続性に還元すべく努力するわけですが、どうしても空隙が残ってしまいます。そこを自在に埋めるのがレオナルド的な「普遍的人間」に他なりません。「天才」という言葉はア…

開講しました!

今日は、前期の続きで、『序説』の後半部に入り、第20段落から第22段落の終わり(p.134の13行目)まで、読みました。世界には、規則的な組み合わせ(連続性/シンメトリー/周期性)が不規則にばらまかれていて、それらは、人間精神を導いてくれるという話で…

今日は、『序説』第19段落の終わり(p.132の終わり)まで、読みました。全体の見取り図(p.114)で言うと、第1部を読み終えたことになります。精神の運動を描いた部分(第11段落から第19段落まで)は、かなり難解なところですが、ゆっくり集中して読んでみる…

今日は、p.131の上から4行目まで、読みました。観る人の原理的な描写です。第12段落で記されたことがらをさらに敷衍している第16段落は想像力の発生を描いているとも言うことができそうです。書かれていることはかなり抽象的で、その点、読みにくいかも…

今日は、第14段落の終わり(p.129の2行目)まで、読みました。大半の人は目ではなく脳でものを見る、で始まる一節です。「観ること」の在り方を否定的側面から論じることで肯定的側面を浮き彫りにする論法です。「海は眺めの奥で立っている」という表現は…

今日は、p.127の下から5行目(第12段落の終わり)まで、読みました。第4段落から第10段落までで「内面の劇」の描写がひと区切りついたあと、今度は、第11段落から第19段落まで、外界(世界)を観ること、想像力の発動(イメージの生成と展開)がテーマとなり…

今日は、p.126の上から11行目の途中まで、読みました。思考についての思考、いわばメタ意識が常態化したと仮定して、思考の「あらゆる組み合わせ」の汲み尽くし(極限)に至る境地が仮想されます。メタ意識の習慣化の実現はあくまで仮定ですが、ヴァレリーに…

今日は、p.125の半ば、「現実」まで、読みました。思考の思考という、いわばメタ意識とでも呼ぶべき状態について語ったこの部分は、『序説』全体のなかでも特に、語り手のテンションが高いと感じられるところです。p.124の下から3行目に出てくる、レオナルド…

今日は、p.124の上から3行目まで、読みました。内面の劇を注視しようではないか、とヴァレリーは言います。イメージの科学の可能性への期待がみなぎるこの箇所は、かなり難解な印象を与えるかもしれません。なぜ難解かというと、それは、読者である私たちが…

今日は、本文第四段落の終わり、p.122の下から3行目まで、読みました。批評の方法論を宣言している箇所です。完成した作品の出来栄えをあれこれ蘊蓄を傾けながら称賛して終わるのではなく、その作品の生成過程に注意を払い、作品を生み出す精神の運動そのも…