火4ボードレール『パリの憂鬱』

最終回

今日は、第49番「貧民を撲り倒そう!」のラスト部分を読んでから、第50番には行かずに(予告と違ってしまって申し訳ありません)、ひとつの詩篇を、辞書を引きながら、ゆっくり訳していただくことにしました。それは、ボードレールの『悪の華』のパリ情景の…

今日は、第49番の詩「貧民を撲り倒そう!」を76行目まで読みました。1865年1月のプルードンの死をきっかけに書かれた詩であると言われています。平等をめぐる革命思想なら、私のほうが上だよ、とでもいうように、半ばは冗談めかして、思い切りいたずらっぽく…

今日は、第47番「マドモワゼル・ビストゥーリ」を最後まで読み終えました。最初に、アンテルテクストと考えられるアドリアン・マルクスによる1866年1月30日付けの記事「ビストゥーリおばさん」のテクスト全文をざっとですが紹介しました。こういうモデルが一…

今日は、第47番「マドモワゼル・ビストゥーリ」の読みに入り、54行目まで進みました。冒頭の「フォブールの端で」「ガス灯の明かりの下で」という表現にずいぶん立ち止まってしまいましたが、この冒頭は本当に見事な書きぶりです。冬の夜の、パリの場末。fau…

今日は、第31番「天職」の残りを読みました。第四の少年における放浪への憧憬、そして、「理解されざる者」というテーマは、『パリの憂鬱』全体に見られる詩人像、さらには、象徴主義一般における「呪われた詩人」像とも関連して、大きく広がる重要テーマで…

今日は第31番「天職」に入り、80行目まで読みました。四人の子供のうち、三番目の少年のエピソードまでを見ました。この三番目の少年は、彼のbonneとのことを、なかなか効果的に語って聞かせます。72行目からのパラグラフは、得々と語るその少年の様子を印象…

今日は、第30番を最後まで読み終えました。私たちのテキストは1864年2月7日の「フィガロ」に載ったものに依拠した死後校訂版に基づいていますが、1864年11月1日の「アルティスト」に再掲載された版では、ラストに付け加えられた部分があり、その箇所数行分を…

今日は、第29番「気前のよい賭博者」の最後の段落を読み終えてから、第30番「綱」(というか、ニュアンス的には「紐」の感じ)に入り、62行目まで読みました。マネが助手として使っていた「アレクサンドル少年」の自殺は1860年のことだそうで、マネが友人で…

今日は第29番「気前のよい賭博者」(旧タイトル「悪魔」)の57行目から125行目まで読みました。「悪魔」の異形性、というか、この世のものでない感じは、Son Altesse(殿下)という呼称と、それを受ける代名詞elleのもたらす奇妙さによって、よく出ています…

今日は第29番「気前のいい賭博者」に入り、56行目まで読みました。冒頭第一段落、地下の屋敷に下りていくところは、何かしら地獄に堕ちていくような危なさがある一方で、阿片窟のような怪しい雰囲気が漂うその至福の世界の描写は、「旅への誘い」に出てくる…

今日は、第13番「寡婦たち」の残りを読みました。女性Aと女性Bとどちらがより一層悲しい存在かはわからない。と書かれたあとで、まず女性B(老女)が語られ、続いて、女性A(子連れの美女)が語られる、という配置はキアスムchiasmeでした。貧者と富者の…

今日は第12番「群衆」の最終パラグラフを読み終えてから、第13番「寡婦たち」に入り、p.130の7行目まで(全体の32行目まで)読みました。列挙のもたらす効果を味わうために、少し立ち止まってみました。第一段落ではparが五つ出てきますが、似たような表現が…

今日は第12番「群衆」を読みました。ボードレールの文章には古典的均斉美とでも呼べるような安定感があります。内容の現代的な面白さと形式の古典的な堅固さが、いいバランスを保っていて、読んでいて心地よい、というか、落ち着くというか。たとえば、9行目…

開講しました

今期もよろしくお願いします。前期にひきつづき、物語性の強い、長めのものを読んでいこうと思いますが、後期オープニングの今日は、ボードレール的な(?)雰囲気に浸り、なんとなくスプリーンな(?)気分を味わう意味も込めて、第10番「午前一時に」を…

最終回

今日は「英雄的な死」の最後まで読みました。区切りがよいので、今日で、この授業は終了とします。「英雄的な死」については、様々な事実とつきあわせた解釈がいろいろとあるようですが、今回は詳細には立ち入らず、テクストの表面を丁寧に追うだけで満足す…

「英雄的な死」の55行目まで読みました。短編小説のようなこのテクストには、しばしば息の長い構文が出てきますが、フランス文学を学ぶ人間には、とても勉強になります。ボードレールの散文は、全体として、古典主義的均整美に満ちた、格調の高い文章であ…

今日は「年老いた大道芸人」のテクストの残りを読みました。全体の解釈はなかなか難しいので、総論的なことが言えない代わりに、各論的な細部をめぐって、非常に明快なテクスト分析の一例として、ジェローム・テローさんの論文の一部(第三段落を詳しく読解…

今日は第14番の詩「年老いた大道芸人」のテクストを71行目まで読みました。この詩も前に読んだ第5番「二重の部屋」と同じく、前半部と後半部の明暗のコントラストがはっきりしています。前半部はいわば背景で、描写の半過去形や現在形が支配的ですが、後半部…

今日は「二重の部屋」の続きです。まず、ひととおり最後までテクストを読んでから、続いて、全体の構成について、日本のボードレール研究者山田兼士さんの『ボードレール《パリの憂愁》論』(砂子屋書房、1991年)から「二重の部屋」を論じた部分(同書pp.17…

今日は第5番「二重の部屋」のテクストを75行目まで読みました。来週は残りの部分を読んでから、このテクストについての具体的な議論の例を紹介してみたいと思います。それにしても、前半のパラダイス的な部屋と後半の地獄のような部屋との対比が際立っていま…

今日はスティーヴ・マーフィの『駄目なガラス屋』論(70ページもある!)からごくごく一部を紹介しました。ウーセイの『ガラス屋の歌』のなかに出てくるひとつの単語「資本capital」に注目して、ウーセイの「私」がブルジョワ的功利主義、進歩主義的・自由主…

今日はアルセーヌ・ウーセイの『ガラス屋の歌』のテクストを読みました。ボードレールの『駄目なガラス屋』の影にあるアンテルテクストです。腹が減って死にそうなガラス売りを居酒屋に連れて行って一杯をおごるわけですが、考えてみれば、レストランに連れ…

今日はLe Mauvais Vitrierのテクストをひととおり読みました。一般的命題から始まって、具体例が挙げられていき、後半は自分に起こった説明しがたい衝動の話が語られます。前回に読んだ序文「アルセーヌ・ウーセイに」のなかに出てきた表現と同じような言い…

今日は序文「アルセーヌ・ウーセイに」を読みました。どこから読んでも、どこでやめてもいい、蛇のような詩集――印象深いイメージでその形式を語ったボードレールは、続いて、作品の構想・狙いを語ります。この後半部分はボードレール散文詩の定義となる重要…

今日は先週に続いて「犬と香水壜」のテクストを読みました。まずテローの文章の続きを読み、途中から、マーフィの本に移って、テローが指摘したテクスト構造のヤコブソン的図式を紹介した部分と、丁寧な象徴読解の部分を読みました。フラコンとエクスクレマ…

開講しました

普通ならば、紹介的な話から始めて、まず序文「アルセーヌ・ウーセイに」を読んだりするのですが、今回は、趣向を変えて、最近の『パリの憂鬱』研究の元気のよさを伝えたいと思って、1993年の(最近というにはちょっと古いですが)ジェローム・テローの研究B…