今日は、第13番「寡婦たち」の残りを読みました。女性Aと女性Bとどちらがより一層悲しい存在かはわからない。と書かれたあとで、まず女性B(老女)が語られ、続いて、女性A(子連れの美女)が語られる、という配置はキアスムchiasmeでした。貧者と富者の対比は、「こちら」と「あちら」の対比、「内側の光り輝く坩堝」と「外側の柵」との対比、「貴族」と「下層民(parias/tourbe/plebe)」の対比によって強調されます。それが強調されればされるほど、高貴な喪服の美女が「下層民」の側にいることの有り得なさが浮き彫りにされるわけですが、ラストでその理由が語られます。でも、なんだか、子供の描かれ方が、少し残酷のような気がします。このあたりに「何か」があるかもしれませんが、今回はつっこまずに、疑問を放置しておきましょう。次回は、29番「気前のよい賭博者」を読みます。全部読めるかどうかわかりませんが、できれば、全体を読んでおいてください。