今日は序文「アルセーヌ・ウーセイに」を読みました。どこから読んでも、どこでやめてもいい、蛇のような詩集――印象深いイメージでその形式を語ったボードレールは、続いて、作品の構想・狙いを語ります。この後半部分はボードレール散文詩の定義となる重要なマニフェストと言ってもいいところです。狙いは「より抽象的な、現代の或る生活を描くこと」。目指す表現は、魂の叙情的運動と夢想のうねりと意識の身震いにぴったり合う柔軟でごつごつした、リズムも脚韻もないけれども音楽的な詩的散文(このあたりのオクシモロンの味わいを満喫しましょう)。この奇跡的散文への夢(理想)は、具体的に大都会を歩く経験から生まれ、大都会の無数の諸関係の交錯から生まれる、とボードレールは言います。『パリの憂鬱』は都会の現代生活の詩です。「現代の或る生活」の「或る」という任意性、「より抽象的な」という言い方に含まれる共通性・一般性。ボードレールの狙いは、21世紀の今日、都市化した現代生活を生きる私たちにとっても、共通に訴えかけるものがあるように思います。ラストの部分には、詩作=ポイエイン(作ること)という語源的意味に基づきつつ、企図したことを厳密に完遂すること(作ろうとしたものをちゃんと作ること)を詩人の最大の栄誉と考える厳しい詩人概念が見られると同時に、当初の目論見とは違った「何か」、名状しがたい面白い「何か」がアクシデントとして出現した事態を少し喜んでいるフシも感じられるような気がします。次回は、今日の文中に出てきた、ウーセイの「ガラス屋の歌」への言及を参考にしつつ、第9番の詩Le Mauvais Vitrierを読みたいと思います。準備をよろしく。なお、来週、5月20日は学生健康診断のため休講となります。27日にお目にかかりましょう。