今日は第12番「群衆」を読みました。ボードレールの文章には古典的均斉美とでも呼べるような安定感があります。内容の現代的な面白さと形式の古典的な堅固さが、いいバランスを保っていて、読んでいて心地よい、というか、落ち着くというか。たとえば、9行目から10行目にかけてのところ、peupler sa solitudeとetre seul dans une fouleという表現の並び方はchiasme(交差配列法)でしたね。キアスムというのは、何気ない反復表現のように見えますが、とても落ち着いた感じを与える古典的な修辞のテクニックであるように思います。なお、28行目の「魂の神聖なる売春」という表現はとても有名ですが、いきなりこのテーマが出てくるわけではなく、既にこの詩の冒頭から「群衆を享楽する」「群衆浴」というエロス的交わりのイメージは出ていました。また、あの第9番「駄目なガラス屋」がポーの「天邪鬼」をアンテルテクストに持っていたように、このテクストも、ポーの短編「群衆の人」をアンテルテクストに持っています。福永武彦による岩波文庫版の註にちゃんと書いてあります。興味のある人は是非、ポーのテクストのほうも、探して読んでみてください(「参照」の追跡は、既に研究の始まりです)。来週は、とりあえず先に進み、今日残した「群衆」最終パラグラフを読んでから、第13番の「寡婦たち」に入ります。十分な読み込みを期待しています。