火3ヴァレリーと美術

最終回の今日は、1926年のエッセー「ベルト・モリゾ」のラスト、p.1306の最終行まで、無事、読み終えました。p.1305でヴァレリーは、息の長い疑問文を三つ、連続して繰り出しながら、不確実な内的生活の探究なるものが、はたして、感覚可能な外的世界よりも…

今日は、p.1305の最初の段落の終りincomparablesまで、読みました。p.1304の下段のDigression以下は、いわば追記のようなもので、ここでヴァレリーは、ベルト・モリゾに直接関わる話からいったん離れて、「外的世界」の見えるものを見る(ベルト・モリゾ的な…

今日は、1926年のテクスト「ベルト・モリゾ」のp.1304の7行目まで、読みました。p.1303の下半分の部分は、純粋に見えているものを少しも見ず、自分にとって関心のある記号にすぐさまそれを変換してしまう人びとのことが語られていました。人は見えているもの…

今日は、1926年のテクスト「ベルト・モリゾ」の読みに入り、p.1303の真ん中上のcommencer par le commencement.まで、読みました。1932年の「マネの勝利」と1941年の「ベルト・モリゾについて」を、私たちは既に読んでいるわけですので、時間をさかのぼるか…

今日は、1941年のエッセー「ベルト・モリゾについて」を最後まで読み終えました。マラルメの詩とモリゾの絵は、身近な物事を描いても、マチエールの本質に向かう点で似ており、すべてを暗示に還元しようとするマラルメのエレガンスは、ベルト・モリゾの自然…

今日は、p.86の1行目まで、読みました。芸術教育においては、概念や知識の伝授よりも眼で実際に作品を見ることを重視すべきだという考え方が強調されていました。ブリュッセル美術館のある展示室で、眼を閉じてくるりと一回転して再び目を開け、トロピスム(…

今日は、p.344の2行目まで、読みました。自分の人生を描くこと、芸術家としての理想と現実生活の私性とが切り離しがたく結びついていること、それがベルト・モリゾの特徴であることを、ヴァレリーはドガやセザンヌやモネたちとの対比において強調していまし…

今日は、p.342の6行目まで、読みました。印象派の光崇拝は画家の数だけあるさまざまな流儀を認めていたとして、モネ、ルノワールに触れたヴァレリーは、「筆触分割」が「点描」にまで進む例もあったとしています。名指しはされていませんが、ここで想起され…

今日は、p.340の11行目まで、読みました。印象派の「網膜」による「純粋な感受性」の重視は、詩の分野では象徴派の純粋言語による絶対詩の探究と密接な関連をもっているとヴァレリーは指摘します。言語の原理に拠るマラルメの絶対詩と事物を光の転調としてと…

今日は、さまざまな画家たちの代表的な作品をプロジェクターに映し出しながら、前回の復習をゆっくりとこなしました。印象派の画家たちはコローやクールベから多くを学んでいますが、写実主義の作家たちによる風景画の改革が、ものの見方よりは、むしろ、主…

今日は、1941年のヴァレリーのエッセー「ベルト・モリゾについて」の読みに入り、p.338の下から8行目まで、読みました。堅実なブルジョワの家庭に突然芸術家が生まれる現象を印象的に語った冒頭部のあと、ヴァレリーは、1839年と1845年のあいだに相次いで生…

 開講しました!

今日は、後期第一回。前期に読んだ「マネの勝利」のうち、ゾラとマラルメの会話がどういうものだったのか、夏休みのあいだ、わかりましたので、それをお伝えし、とりあえず読んでいくテクスト「ベルト・モリゾをめぐって」(1941年)を配りました。成績評価…

今日は最終回、ヴァレリーの1932年のエッセー「マネの勝利」を最後まで読み終えました。ゾラとマラルメのような文学論的には正反対の人々をも魅了したところにマネの栄光があると語るヴァレリーは、ラスト部分で、マネによる有名な肖像画「黒い帽子の(ある…

今日は、まず授業評価アンケートを実施してから、「マネの勝利」の続き、p.168の左側7行目まで、読みました。マネの「オランピア」をめぐるヴァレリーのテクストは読み応えがあります。首に巻かれた黒いビロードのひもが純粋な頭部と不純な肉体を分離してい…

今日は、「マネの勝利」のp.167左側下から7行目まで、読みました。マネにおけるロマン主義と写実主義の分有について、p.166右側下で、両者がさまざまな言い方で比喩的に表現されていました。それぞれ意味のつながりをつかんで、線で結んでループ化してみると…

今日から、1932年のヴァレリーのエッセー「マネの勝利」の読みに入り、p.166右側13行目まで、ゆっくりと読みました。実にしゃれた冒頭です。たとえば18世紀のフランソワ・ブーシェなどの絵で有名な寓意画「ヴィーナスの勝利」を下敷きにして、仮に「マネの勝…

今日は、「コローをめぐって」のラストまで、読み終えました。最後は急ぎ足となりましたが、ヴァレリーにおけるcompositionの概念の図式的整理を試みました。用いられている語彙をポジティフとネガティフに分けて整理してみると、だいたいの対立関係(説明の…

今日は、p.164の右側上から4行目まで、読みました。風景画の評価が次第に高まってくることと、流行、つまり現代の好みの変化とが関係しているということ、そこには危険があるということをヴァレリーは述べているようです。コローにおいて重要な「構成」(こ…

今日は、p.163の左側下から9行目まで、読みました。コローの評価は1932年現在(ヴァレリーがこのテクストを書いている時点)で揺るぎないものがありますが、1845年ごろにはコローの評価は今とは違っていたとして、ヴァレリーはボードレールの「1845年のサロ…

今日は、p.162の右側真ん中(「それらの単語は詩の萌芽となる」)まで、読みました。予定していたところまでは進みませんでしたが、ヴァレリーの「感覚論」を丁寧に追ったつもりです。コローのような芸術家には、神秘的な深みに達する時があり、そのような時…

「コローをめぐって」の続きです。今日は、予定通り、p.161右側の5行目まで、読みました。卓越した芸術家の即興は生涯かけて培った能力の裏打ちがあって行われるものだというヴァレリーの見解は、昨年来読んできたさまざまな文章でも明らかに見られた古典主…

今日は、1932年のヴァレリーのエッセー「コローをめぐって」を、ランベール版でp.159右側の下から7行目まで、読みました。息の長い文が連続して出てきますが、ヴァレリーの思考の流れに乗って読んでいきましょう。コローの素描や版画が音楽ときわめて密接に…

今日は、ランベール版のp.159左頁上から2行目まで、読みました。今日のメインはp.158の自然の美をめぐる考察の部分です。まず、非美的経験と美的感動経験とを対比して一般的に述べたあと、ヴァレリーは、その具体例として、雑音と楽音の聴覚経験を対比して述…

開講しました!

今日は第一回。前年度の続きの授業ですが、新しく受講される方々もおられるので、授業の概要説明(授業題目や成績評価の方法などの確認)に加えてヴァレリーという作家の生涯の要点紹介と前年度のレトロスペクティヴ(どんな関心に基づいてどんなテクストを…