今日は、p.342の6行目まで、読みました。印象派の光崇拝は画家の数だけあるさまざまな流儀を認めていたとして、モネ、ルノワールに触れたヴァレリーは、「筆触分割」が「点描」にまで進む例もあったとしています。名指しはされていませんが、ここで想起されているのは、たとえばジョルジュ・スーラでしょう。こうしたいわば印象派の主流派から離れたところにベルト・モリゾは位置していて、時が経つごとにその評価は高まっていったとヴァレリーは書いています。印象派画家たちにおいては、芸術家としての個性の探究が、芸術方法論上は抽象化に向かい、彼らの芸術が実生活からは遠ざかる場合が多かったのに対して、ベルト・モリゾにおいては、まったく逆に、自分の生活を描くことが、彼女にとって絵画を生きることだったとヴァレリーはその独自性を強調しています。あと二回ほどで、このテクストを読み終わる予定です。予習をどうぞよろしく。