「コローをめぐって」の続きです。今日は、予定通り、p.161右側の5行目まで、読みました。卓越した芸術家の即興は生涯かけて培った能力の裏打ちがあって行われるものだというヴァレリーの見解は、昨年来読んできたさまざまな文章でも明らかに見られた古典主義的制作美学(メチエ=技量の重視)の変奏です。p.160に出てきたミケランジェロのスローガンは、芸術家の精神と素材のあいだの緊密な照応(correspondance)を示します。以下、〈ポエジー〉を語る部分でも、可感的なものと知的なものとの照応ということが述べられています。〈ポエジー〉の話をはさんで展開されているのは、色彩豊かな「絵画」と白黒の「デッサン」との対比です。ヴァレリーは、夢の状態とデッサンの行為とは相容れないものであり、夢とポエジーを混同するのは現代によくみられる誤謬だと断言していますが、このあたりにも、古典主義美学に基づく現代美術批判があるようです。一枚の絵画を眺めるときも、デッサンの行為を想像せざるをえないというヴァレリーは、作品の動いてやまない生成の相に注目します。部分だけ読んでいるとよくわからないところも、少し引いて大きな塊として読むと、全体の流れが見えてくる、そんな文章が続きます。次回は、p.163の右側3行目まで進みます。出席される方々はどうぞ予習をして臨んでくださいますように。では、また来週。