今日は、p.162の右側真ん中(「それらの単語は詩の萌芽となる」)まで、読みました。予定していたところまでは進みませんでしたが、ヴァレリーの「感覚論」を丁寧に追ったつもりです。コローのような芸術家には、神秘的な深みに達する時があり、そのような時は、通常の生活には属さず、「第二の生活」に属するとヴァレリーはいいます。p.162で語られる、普通の一時的な感覚と、孤立し独特の強度を持つ感覚とは、それぞれ、通常の生活の感覚と第二の生活の感覚に対応しています。芸術の始まりとなるのは後者の感覚であり、音楽の例(ホフマンの「クライスレリアーナ」の音楽狂の男における「調和音」感覚体験)、絵画の例(白内障の手術をした時にモネが経験した「青の啓示」体験)、詩の例(いくつかの単語がイメージと音を啓示する言語体験)が挙げられていました。こうした特権的な感覚経験から出発して、やがて、芸術家は制作の行為に移っていくわけですが、そこで重要なのはやはりメチエ(技量/技術/技巧)であるとヴァレリーは、いつものテーゼを主張するはずです。以下は、次回6月1日に読みましょう(来週5月25日のこの時間は学生健康診断のため休講となりますので次回は6月1日となります)。次回はp.164右側の上から4行目まで進む予定です。どうぞ予習をよろしく。