今日は、p.163の左側下から9行目まで、読みました。コローの評価は1932年現在(ヴァレリーがこのテクストを書いている時点)で揺るぎないものがありますが、1845年ごろにはコローの評価は今とは違っていたとして、ヴァレリーボードレールの「1845年のサロン」からコローの項目の一部を引用しています。人々は「コローは絵を描く術を知らない」などというが、それはとんでもない間違いであり、「コローはすべての巨匠たちと同じように描く」とボードレールは記して、コローを擁護しているのですが、ヴァレリーの記述には少し奇妙なところが見られました。ヴァレリーボードレールの文章について「まったく不正確な議論」とか「言葉遊び」とかと批判を浴びせているのです。私たちは念のため、ボードレールが「1845年のサロン」からコローについて論じた部分を全部見てみましたが、ヴァレリーがいうほどのネガティヴさは感じなかったですね。ここはちょっと疑問符を残しておきました。そのあとの議論は、ヴァレリーの定番です。古典主義的メチエの美学に対抗して衝動的行動を持ってくる考え方はロマン主義の「軽薄」と「脆弱」の特徴のひとつだとヴァレリーは断定し、メチエの美学の「危機」を19世紀半ばころに始まると見ています。次回は最後まで進む予定です。予習をよろしく。