セーシェル(プララン島)

 まずピカールpp.57-58を読んでから、バルトpp.17-20(12行目)を読みました。ピカールはバルトの用語法を前に苛立ちを隠しませんが、バルトも負けてはいません。文学批評の「客観性」を保証するはずの「明証的外部」に関するピカールの言葉を捉えて、バルトは、まず、辞書的言語の確実性に対して、言語を素材とした文学作品という第二言語の不確実性・象徴的多義性を強調します(ce second langageは、le langage des sens multiplesに他ならない)。例のrespirerの解釈も、第二言語の象徴性の水準では何の矛盾もないということをバルトは強調し、表面的なアラさがしをして内面的な欠陥であるかのように非難するのは極めてレベルが低い(le libelle de R. Picard [...]prend les choses au plus bas.)といって逆襲しています(p.19脚注、ここで再びプルーストの言葉を引いているのは面白いですね)。続いて、「心理的一貫性」という言葉に対しても、ピカールが依拠しているのは、結局、「通念的な」心理学であって、そんなものは学校で習った固定イメージを確認して安心するトートロジーに過ぎない!として激しく反撃しています。規範的な「真実らしさ」に立つ旧批評と多少冒険的であっても豊かな多義性をよしとする新批評。多性を示すmultiples, plusieurs(×3)といった語彙は、そのままで、多性を採るバルトの立場をよくあらわしていますよね。次回、逆襲のテンションはさらに上がっていきます。来週は、この節の末尾p.24(5行目)まで進む予定です。参加学生のみなさんは、最低限、予習を、担当の方は、十分な準備を、それぞれよろしく。