第8回17世紀概観(3)

セーシェル(ラディーグ島)

 今日は、まずラ・フォンテーヌの『寓話』について、ルソーによる批判を紹介しながら、大人向け、しばしば宮廷人向けの風刺がこもっていることを指摘したTさんの発表、続いてラ・ロシュフーコーの『箴言』について、人間の抜きがたい自己愛のテーマと理性の限界という(ジャンセニスム的な)テーマを中心に具体例を紹介してくれたYさんの発表。いずれも勉強になりました。どこを強調・展開し、どこを省くか、これから発表するみなさんも、効果的なプレゼンテーションを心がけてくださると幸いです。残りの時間は、モリエールの『人間嫌い』から、有名な「ソネットの場」(1幕2場)を読みました。アルセストがキレるところのセリフには、二つの美学の対照がくっきりと浮き彫りにされていましたね。洗練と気取りをよしとする現代の(悪)趣味(プレシオジテ)がオロントの周囲に作られる磁場だとすれば、率直・自然をよしとする「古い唄」の美的・モラル的磁場がアルセストの周囲に形づくられています。授業でも触れた、廣田昌義先生の文章を紹介しておきます。

十七世紀前半期と1660年代との間に、フランス社会、特に宮廷生活は急激に変化した。良く言えば洗練されたものになるが、廉潔や剛直という美徳はだんだんとその影を薄くする。優越性の誇示と立身出世、そして恋愛と訴訟沙汰、という個人的利害だけをもっぱら関心事とするような「時代の風潮」にアルセストは憤激して、セリメーヌを連れて「荒野」へと逃避したいと願うのだが、その時のアルセストは、アントワーヌ・ルメートルの戯画にすぎない。宮廷生活のお仲間のうちに、崇高な精神性を感じさせる、真の意味での極端主義者をもはや見いだせなくなっていたことが、アルセストの不幸であり、その憂鬱症の真の原因であったのだろう。(廣田昌義、モリエールの『人間嫌い』について、『モリエール全集』5、臨川書店、2000年、p.271より)

 さて、来週は、18世紀に突入です。ヴォルテールディドロ、それぞれ発表担当の方、準備をよろしく。