今日は、ヴァレリーの評論「レオナルドと哲学者たち」の続きで、p.1241の下から13行目まで、読みました。実効性のある知のみが知として認知されるようになって以来、倫理学や美学といった形而上学はいにしえの力を失い、また、新しさ、烈しさ、奇妙さ(無意識、不合理、瞬間性)といった衝撃の価値のみがもてはやされる現代では、いにしえの美の観念は力を失っている、……今や、完璧への欲望は独創性への欲望に取って代わられ、後世に残る仕事をやりとげることよりは、他の人間とちがう何かをとりあえずやることに価値が置かれる、こうした現代という時代をヴァレリーは呪います。ヴァレリーにおけるこうした反現代=親古典の姿勢は、他の散文作品(たとえば「ドガ ダンス デッサン」や「イタリア美術展に寄せて」など)においても繰り返し現れます。現代を生きる古典主義者、前衛の時代を生きる後衛という立ち位置がヴァレリーの批評をきわめて面白いものにしているように思います。では、また来週。