今日は、「午前一時に」を読み終わり、第12篇「群衆」をひととおり読みました。群衆に湯浴みすることの詩学を語ったこの一篇、ラスト部分で、植民地の創設者とか世界の果てに派遣された宣教師とかのことが語られるのですが、素朴な感想として、それまでのところの盛り上がりと、どうもうまくつながらないような気がします。ボードレールの意図はどこにあったのでしょうか。ここは少し調べてみる必要があるように思いますが、講読の授業ですので、先に進まねばなりません。次回は35番の「窓」をざっと読んだのち、30番に戻って「綱」を読みます。予習をよろしく。