今日は、ボードレール散文詩「駄目なガラス屋」における間テクスト性について、吸収したモデルとしてのポーの「天邪鬼」と反抗すべき敵としてのウーセイの「ガラス屋の歌」を紹介し、ボードレールの作品テクストと並べて、眺めてみました。こうして、関係する複数のテクストを並べて比べてみるという行為は、単なる感想のレベルを超えて、既に十分な研究のレベルに入るものであり、文学をめぐるあれこれを考えるための豊かなヒントを与えてくれることがあると思います。なにかの参考にしていただければ幸いです。では、また来週。