完璧なケンタウロスがやってくる!

 コロー論の続きです。p. 1333の下のほうで語られるボーシェのエピソードはヴァレリーのお気に入りの話で、このコロー論だけでなくドガ論のなかでも言及されます。複雑をきわめた事物と数多くの試みの末に到達するシンプルさの境地とはすなわち理想の極限点であるということの具体例として、馬術の達人ボーシェの「並足」の技が語られます。その技に驚愕した弟子の騎兵隊長の目に映ったのは「完璧なケンタウロス」がこちらに向かって進んでくる姿でした! そこで師匠の放つ一言がカッコイイです。「私ははったりなどやらない。私は自分の芸術の頂点にいる。つまり、ひとつのミスも犯さず歩くのだ。」このセリフは似たかたちで『魂と舞踏』のアチクテの踊りの始まりにおける円形の歩行に関するエリュクシマコスの讃嘆の言葉にも現れています。ボーシェの図にはドガマラルメの思い出、さらには昔一時期愛人だったサーカスの曲乗り女芸人バチルドの思い出も、当時の濃密な時間意識と共に重層している可能性があります。過去のいくつもの時間がテクストのなかでぶつかり重なり合って強烈な叙情が生まれていると言っても過言でないとおもいます。ついつい時間をかけてしまい、次へ進むのが遅れました。次回は画家にとって〈自然〉とは何かというテーマでの考察です。