コローの眼は深い!

 ヴァレリーのコロー論の続きです。今日読んだところでは、完全写実派(書かれてはいないけれどもメソニエ系)、写実感覚派(コロー系)、要素再構成派(ドラクロワ系)の三分類が記されたあとで、自然を描くコローの凄いところについて、ヴァレリーはたいへん示唆に富んだ微妙な表現をしていました。「コローが霧に覆われた場所や水蒸気で煙った樹木などを描く際、次第に薄れて消えていくフォルムには明晰で曇ったフォルムが常に含まれているだろう。構造はベールの下にあるが、不在なのではなく、先延ばしされている〔あとになって現れてくる〕のだ。」可能な無数の眼差しと試みの経験、複雑な事物を見る深い眼がコローにはあって、それがコローの風景画を奥深いものにしているということでしょう。「明晰で曇ったフォルム」というオクシモロンには時間の経過が重層化されています。コロー、恐るべし!