二つのテクストを並べて読む

 振り返ってみると、私がこれまでに書いてきた論文の多くは、二つのテクストを並べて読む経験、あるテクストに別のテクストを重ね、相互の反響・照応・対話から読み取ったことがらを言葉に記したものだった、ということに気づきます。
 私の学部卒業論文は、フランスの詩人・思想家ポール・ヴァレリー(1871-1945)の初期の作品『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』と中期の作品『ユーパリノスまたは建築家』という二つのテクストを並べて読み、両者の共通性を探りながらヴァレリーの鍵概念である「可能態」について考えるというものでした。これは、一人の作家の二つのテクストを並べて、相互の関連性についてあれこれ考えるというタイプのものです。
 修士論文や博士論文でも相変わらず『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』を扱いましたが、ヴァレリーという作家における他のテクストを持ってきて、二つ並べて読むという作業(たとえば『テスト氏との一夜』と並べて類似点や相違点を指摘するといった作業)だけでなく、執筆当時のヴァレリーが参照した他のテクストを探し出して読む作業、つまり、ヴァレリーのテクストとヴァレリーではない他の人間のテクストを二つ並べて読み、ヴァレリーが他者のテクストをどのように消化吸収しているかという観点で、ヴァレリーの読書体験の具体相を探る作業を試みました(『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』というテクストには、文学と科学の両面にわたる多様な読書体験が凝縮されています)。
 たとえば、自然科学(物理学や数学)の論文を読むヴァレリーは、どのような概念をどのように取り込んで血肉化(ヴァレリー化)しているか、とか、レオナルド・ダ・ヴィンチの文章作品を読むヴァレリーは、もともとのダ・ヴィンチの文章を、ヴァレリー自身の思考の場にどのように取り入れて「加工引用」しているか、とか、アメリカの作家エドガー・アラン・ポー詩学(効果の理論)をボードレールの翻訳経由で、いかにダイナミックかつ決定的に吸収しているか、とか……。こうした参照体系を調べる作業は、まさに、ロシアフォルマリスムの論客ミハイル・バフチンが「ディアロジスム」(対話性)や「ポリフォニー」(多声性)といった言葉で示したような、あるひとつのテクストに存在する複数の声(複数のテクスト)に耳を傾け、それらの声の複雑な反響のこだま、絶え間なく交わされる対話のざわめき、そうした賑わいの場に私自身も参加させてもらうことなのだ、という実感を与えてくれました。フランスの文学理論家であり作家でもあるジュリア・クリステヴァが言った有名な言葉――「あらゆるテクストは引用のモザイクとして構築されている。テクストはすべて、もうひとつ別なテクストを吸収、変形したものである」――が真実であるとすれば、そうした「引用のモザイク」模様を詳しく観察すること、「吸収」や「変形」の具体的な諸相をじっくり観察することは、文学テクスト研究において、テクスト生成の現場に立ち会うという意味で、非常に実りの多い作業である、と言えるのではないでしょうか。