今日は、フローベールの『ボヴァリー夫人』から「農事共進会」のシーンを読みました。二つの言葉(政治演説の言葉と恋愛の口説き言葉)の重なりの面白みと、紋切り型への強烈な批判が伝わってくる、きわめて意識的なテクストであることを理解していただけたら幸いです。ボードレールのテクストもそうでしたが、フローベールのテクストにも、言葉自体の存在感が濃密に感じられ、言葉が活き活きと自己主張しているという感覚を抱きます。フローベールの手紙にもあったように、散文の言葉が韻文の言葉と同じ重みをもって輝いている、という感じです。彼らの詩学からマラルメプルースト詩学までの距離はほとんどないように思われます。次回はランボーの『地獄の季節』を読む予定です。では、また来週。