今日は、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』をめぐってお話しました。ブルトンにとってナジャは、想像力の自由の世界へと自分を導いてくれる「自由な精霊」であったわけですが、通常の論理を超越したナジャの言葉と行動に寄り添っていくのは大変な冒険でもあったことでしょう。「断崖型の事実」を前にして「うろたえた目撃者」にしかなれなかったという言い方に、ブルトンのぎりぎりの思いが感じ取れるように思います。授業では、シテ島西端のドーフィーヌ広場の散歩のシーンを紹介しました。正三角形の形をしているドーフィーヌ広場は、「パリでいちばん深くひきこもった場所のひとつであり、いちばんよからぬ空き地のひとつである」と、ブルトンは注をつけています。シテ島先端部の形態論的象徴性については、小倉孝誠さんの『パリとセーヌ川』(中公新書、2008年)pp.146-147の一節を読み、さらに理解を深めました。さて、スワンとオデットの恋といい、レアとシェリの恋といい、ブルトンとナジャの恋といい、いずれも、どこかフツーでない恋愛の物語が続きました。果たして、今後も、狂気の愛は続くのでしょうか。