最終回

 ヴァレリーのエッセイ『ヴェルレーヌの通過』を読みました。若い頃、リュクサンブール公園近くのゲイ=リュサック街に住んでいたヴァレリーは、数学者ポワンカレと詩人ヴェルレーヌの通過を描いて、それぞれの人物のために語彙を選び、それをそれぞれの宇宙に散りばめます。空腹が二人の歩行を支配しているのだという抽象にとりあえずはオチを与えて、話題は、公園を歩いていくルコント・ド・リールのほうへ移ります。忘れられていく詩人、世代の交代。そして、高踏派から出発したマラルメヴェルレーヌの詩人としての苦労の話へ。『ボードレールの位置』にもあったような、偉大な世代に続く世代の困難を語った文章には、ヴァレリー自身の自己告白が含まれているように思います(マラルメの完璧とランボーの激烈の後で、いったい何ができるのかという悩みを詩人ヴァレリーもまた悩んだのであります)。パリ文学散歩のラストは、ヴァレリーという作家が自ら体験した(見て、歩いて、考えた)パリの情景をノスタルジックかつパテチックに描いたエッセイを読むという若干渋めの内容になりましたが、こういう文章もまた、ボードレール散文詩フローベールの小説と同じく、パリの文学空間のリアリティを十分に感じさせてくれるように思われます。
 最終回なので、授業評価アンケートに答えていただきました。半期のおつきあいでしたが、私も教えられるところが多く、私自身にとって非常に充実した授業でした。夏休みの読書予定など、皆さんに尋ねると、漱石や鷗外をまとめて読みたい、ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』の残りを読みきりたい、有名な古典を片っ端から読みたい、ヘッセを全部読みたい、などなど、「読みたい」欲望にぎらぎらする皆さんの元気に、私も新鮮な元気をもらいました。どうか、いい本、いい文章にめぐりあってください。皆さん、よい夏休みを。