最終回

セーシェル(マヘ島)

 pp.37-45を急ぎ足で説明しました。旧批評の最後の砦「文学の特殊性」という命題に対するバルトの批判です。文学は文学だというトートロジーに自閉し、コトバの検閲・禁止による自縄自縛によって、自分自身が沈黙せざるを得ない旧批評の貧しさ。「旧批評家は象徴不能症患者である」―これがバルトによる最終的な「診断」です。冒頭から見通されていた象徴擁護=多義性主義の立場が第1部の最後でも強調されます。テクストの書かれ方として印象深いのは、やはり、バルト一流の効果的な例え話です。今日読んだところでは、プルースト失われた時を求めて』に出てくるジゼルの卒論と旧批評を比べるくだり(pp.41-42)とか、心理医学者オンブルダーヌが紹介する「古代的な人々」と旧批評家を比べるくだり(p.45)とか、ユーモラスなだけにいっそう、皮肉も強烈で、バルトのいたずらっぽい微笑(?)が思い浮かぶような、生き生きした表現だと思います。さてさて、これで、なんとか、『批評と真実』第1部をひととおり読み終えることができました。後期は第2部を読みます。今日は人数が少なかったのですが、最後なので、授業評価アンケートに答えていただきました。「難しい」のは当たり前なのですが、バルトの文章の面白さ(単なる文学批評の枠を超えて社会批評・文明批評の射程を持っているところが魅力であること)を指摘してくれた人が複数いて、ほっとしました(このテクストを採り上げてとりあえずよかった!)。これから夏休みです。それぞれのお仕事(卒論・修論・留学準備)を、どうか、元気に、着実に進めてくださることを願っています。この日誌は、休み中もぽつぽつ続く予定です。とりあえず、8月3日締切のレポートの紹介とコメントを記すかもしれませんし、落穂拾い的なことを書き連ねるやもしれません。そんなわけで、時々、覗いてやってください。