今日は、p.83の6行目まで、読みました。ヴァレリーヘーゲル美学を[観念的・弁証的・抽象的であると(ヴァレリーは直接的にはこういう表現をしていませんが、文脈上そうとれます)]批判すると、アンリ・ドラクロワ氏はヘーゲルの『美学』は事実に基づく具体的な感覚に満ちた豊かな作品でヴァレリーとの共通点も多い、けれども翻訳が部分訳であるうえに上手な訳ではないため、ぜひとも原文を読んでほしい、ついては少しドイツ語を勉強されては、というと、ヴァレリーは、「いやあ、この年ではどうもね」と答えます。ヴァレリーの台詞はフランス語ではPasse encor de batir....となっています。これは、ラ・フォンテーヌの『寓話』第11巻第8章の一句Passe encore de batir, mais planter a cet age!(家を建てるのならまだしも、この年で木を植えるとは!)が原典です。長い時間が必要なことをこの年で始めるというのは無理なことだ、といったニュアンスがあります。1935年のヴァレリーは64歳。今更ドイツ語をやるというのもねえ……という気持ちの表明です。この部分のやりとり、味わいがありました。では、また来週。