今日は、p.80のシャルル・ラロ(ソルボンヌの美学教授)の発言の最終段落前まで、読みました。芸術が倦怠(や不安)から発生するという考え方は、18世紀のデュボス神父や、19世紀のオーギュスト・コント、キエルケゴール、20世紀ではハイデガーなどにも歴史的に見られるものだとラロは指摘し、また、注意力や疲労についての実験的な研究は存在し、それを美学的な方面に応用することもできるだろうから、美学という学は存在するのだということを主張しています。ラロによると、ヴァレリーは、芸術研究協会で「美学は存在しない」というような発言をしたらしいのですが、ここでのラロの発言はそれを踏まえた、一種の意趣返しのようなものでしょう。講演と聴衆のやりとりには、時にいろいろと背景があったりして、面白いと思います。では、また来週。