今日は、p.1172を、読みました。ダンスの世界と普通の動作の世界の比較をした部分。似たような表現が繰り返されています。文章全体が難解に思われるとき、繰り返される似たような表現があれば、それらをチェックして、相互にリンクしてみると、論旨が明快に浮き彫りになる場合があります。このページなどはその典型です。三か所、同じ内容の部分に囲みを入れて、仮にP1, P2, P3として、それぞれのPで用いられている単語の比較をしてみると、同じかたちが出現していることに、誰でも気づくことでしょう。こういう感覚を磨くと、今後役に立つと思います。さて、バレエの世界では、不動のポーズは実にたいへんなエネルギーを要する不自然な動作であって、跳躍や回転はむしろ自然な動作であるのに対して、普通の動作の世界では、不動は気楽な休みのポーズであって、跳躍や回転は不自然な動作となるでしょう。一方で「ありそうな」ことが、他方では「ありそうにない」こと、になる。そして、ダンスという状態は、人間の能力の限界値で構成される世界、人間の生活ではきわめてまれな瞬間を可能にする世界を思わせる。続いて、あるディスクールが、そのイメージと観念によって人間精神を魅了し、その音声記号と分節が言語表現の最高価値を実現することがあるとしたら、そんなディスクールは「ありそうにない」だろう、という文が記されていますが、これは、実は、たとえばマラルメの詩などのように、ある種の特別な言語芸術の場合に、こうしたディスクールは「ありうる」ものとなるのだ、という含みがあるように思います。自己主張する身体、自己主張する言葉。ヴァレリーの考察は、十九世紀後半の芸術の大きな革新にダイレクトに触れているようです。次回は最終回となります。しぶとく予習を。