今日は、p.126の7行目まで、四ページ分、進みました。約束どおりの快調なペースです。自然の作と人間の作の根本的な違いについて、ソクラテスの思考が展開される部分。「複雑さの程度」という概念を使って、自然物はその程度が高いのに対して、人間の制作物はそれより低いとされ、「人間は抽象によって物を作る」(人間は物の用途・目的だけに注意を払うため、素材の性質のすべてを用いるわけではなく、そのいくつかを用いるのみである)という原理が抽出されます。能産的自然(nature naturante)は素材・形態・機能を不可分に調和させているのに対して、人間による制作は、自然によって作られた秩序を蹂躙して、自分の目的に素材を適合させる、その結果、たとえば、人間の作るテーブルは、木の繊維の組成の配列よりも、はるかに単純な配列になり、「複雑さの程度」は低くなる、とソクラテスは言います。このあたりの議論には、おそらく、ヴァレリーの若いときのアイデアである「シンメトリーの程度」という考え方の反映があるかもしれません。世界の事物を、何か、共通の尺度で捉えようとする姿勢は、まさにヴァレリーの青春時代のそれです。ここで描かれる18歳のソクラテスの肖像のうちには、たぶんに、若いヴァレリー自身の姿が投影されているようです。さて、次回はp.130の5行目まで進む予定です。予習を、よろしく。