今日は、p.114の1行目からp.118の5行目まで、4ページと少し、読みました。ソクラテスによると、人は複数存在として生まれ、唯一存在として死ぬのだが、時折、萌芽としての観念にとどまった人格たちが存在を望むことがある、といいます。ソクラテスは哲学者として死んだわけですが、存在に至らなかった芸術家・建築家を、可能態として内包していたというわけです。青年期は複数存在が交差する十字路であり、やがて、いずれかの道を選んで唯一存在になっていく重要な地点なのですが、ソクラテスにとって、そのような人生の分かれ道は、若い頃、ある晴れた日の海辺の散歩の折に訪れます。私が「海辺のソクラテス」と呼んでいる、この対話作品の中でも最も美しいシーンです。ソクラテスは、海と陸のはざまの場所で、あるオブジェと出会い、それについて深く思案することになります。その結果、ものを構築する人=芸術家・建築家ではなく、ものを認識する人=哲学者への道を進むことになります。それにしても、p.116からp.117にかけて、プレイヤード版でしっかり1ページ分にわたって続くソクラテスのせりふの、なんと美しいことでしょう!イメージ豊かな、そして、官能的な描写は、「絵画詩」と呼びたい気を起こさせます。詩人ヴァレリーの表現力の精髄が満喫できる部分です。どうか、繰り返し、読み味わってみてください。来週は休日のため、次回は11月10日となります。四ページ分プラスアルファの予習を、どうぞよろしく。