今日は、先週に続き、落穂ひろい的なお話で、ヴァレリー1921年のエッセー「ヴェルレーヌの通過」をとりあげて、特に、リュクサンブール公園近くのカフェで、テーブルのうえのグラスに緑色の酒(アプサント)をなみなみとついで昼間から飲んでいるヴェルレーヌの姿を描いた文章を味わいました。豪快で騒がしいヴェルレーヌと数学者ポワンカレの謹厳な様子のコントラストの妙、そして、ヴェルレーヌマラルメの背後に忘れ去られた大詩人ルコント・ド・リールのさびしげな様子、エッセーの最後はヴァレリー得意の世代論的詩人論が少し顔をのぞかせ、マラルメと対比しつつ、やはりヴェルレーヌは詩人としてエライということが賞賛されて終わります。短い文章ですが、ヴァレリーの青春時代の一時期を回想したスナップ写真のような、印象深いエッセイです。ヴァレリーも言っているように「微妙な音楽の調子」を追求したヴェルレーヌから、有名な一篇「詩法」(これは一行が9音節です)を読み、ついでに、これを実にいい声でアレンジしているレオ・フェレのシャンソンに耳を傾けてみました。陰影礼賛は日本の谷崎潤一郎を思い出させますが、既に19世紀末にフランスでヴェルレーヌが唱えていたわけですね。さて、講義は来週で終了し、再来週22日は筆記試験です。来週はモディアノの『ドラ・ブリュデール』(邦訳『パリの尋ね人』)を紹介する予定です。では、また。