先週少しだけ紹介したヴァレリーの1919年の「精神の危機」の第一の手紙の後半、松浦さんの文章で紹介されたところなど、ポイントを絞って復習してみました。特に、レオナルドの発明した鳥人間(=飛行機)が平和目的(山の頂に雪を取りに行って、それを真夏の街の舗石のうえにばらまく)ではなく、今や、人間の殺戮という軍事目的になってしまったことを嘆く部分の文章は、1895年のテクスト『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』で用いた文章を発展させたものです。1895年のテクストの平和の文脈に、1919年のテクストでは戦争の文脈が影を落とすところが印象的です。続いて、同じ1871年生まれのプルーストへと、抽象的文明論から具体的風俗描写へと、同じベルエポックを他の側面から眺めるために、一気に視点を転換しました。工藤庸子さんの『プルーストからコレットへ』(中公新書、1991年)から、『失われた時を求めて』の女性登場人物でも「とりわけ正体の曖昧な」オデットについて述べた部分を紹介しました。「見られる女」オデットへの愛によって夜のパリの街をレストランからレストランへ(トルトニに二度も入る!)歩き回るスワンの様子を描いた部分はいかがでしたか。滑稽な中にドラマチックなものを、あるいは、ドラマチックなものの中に滑稽なものを感じませんでしたか。……。今日はやや急いでしまいましたが、次回、「アカシアの道」のオデットのシーンを、少しゆっくりと眺めてみたいと思います。そのあとは、コレットの『シェリ』についての紹介部分を読む予定です。休みの間、興味のある人は、『シェリ』を読んでおいてください。