今日はカミュの『異邦人』について、まず、アラブ人殺害は「太陽のせいだ」というムルソーの人物像について発表をしていただきました。自分の気持ちに対して常に正直なムルソーは、通念的道徳コードの期待する言動をなぞりません(そこが彼の爽やかな魅力です)。ものを見る力にたけ、涙を嫌うムルソーは、自らの眼を眩ます太陽と戦い、どちらにしても同じことなら、運命の決めた方向に躊躇なく進んでいきます。野崎歓さんの『理想の教室 カミュ『よそもの』 きみの友だち』(2006年、みすず書房)の見解に独自の見解をプラスした明快な発表でした。それを受けて、残りの時間は、特に第二部のラストシーン、ムルソーが激しく逆ギレするところをややゆっくりめに読みました。この部分、フランス語原文では「自由間接話法」が使われていて、語りの形式そのものが生む乾いた距離感が印象的です。このテクストは、美学的レベルから政治的レベルまで、いろんな問題を提起しますが、確かなのは、とりわけ、その感覚的な表現の明晰さ、イメージの豊かさだと思います。たとえば、第1部ラストシーンにおける太陽の強烈な光の充満。そして、ピストルの轟音、間を置いて連続四発(ダダダダン)はベートーベンの「運命」のジャジャジャジャーンではなかったでしょうか。「すべてが始まった」ことの、意識的な生が開始したことの確認の四発、運命をこちらから把握するための(語りの流れから振り返っていえば「不幸のとびらをたたいた」)四発。一発目とその後の連続四発を隔てる「間」が何かしら意味を発しているような気がします。至るところ、意味を発している細部がたくさんありそうなこのテクストについては研究書や論文が既に非常に多くあります(『異邦人』研究史をやるだけでもかなりの研究になりそうです)。
 さて、今日はレポート情報をお伝えしました。課題は「19世紀半ば以降のフランス文学の作品からひとつを選んで自由に論じなさい」です。分量は3000字程度。締切は2008年1月31日(木)午後5時まで(締切厳守)。提出先は文学研究棟7階722(エレベーター降りてすぐ右)今井研究室入り口のレポート提出用封筒まで。力作を期待しています。