今回と次回はプルーストのお話です。今日は、まず、担当の方に発表をしていただきました。『失われた時を求めて』から無意志的記憶の典型として「プチット・マドレーヌ」のシーンを中心に、知性の記憶は過去のエキスを保存しないというモチーフの反復、そして、それと表裏一体で現れる、未知なるものに到達しようとして到達できないテーマの反復が指摘され、吉川一義先生や鈴木道彦先生の本から、それと関係した部分の指摘が紹介されました。既に、プルーストの小説世界の魅力に入り込んだ人間の語りが感じられる充実した発表でした。予定時間を大幅に超えましたが、今回は大目に見ましょう。後半は、私が、担当の方の指摘に便乗するかたちで、やはり「プチット・マドレーヌ」の場面のフランス語テクストの書かれ方を少し説明し、「見出された時」から「真の生活、ついに発見され、ついに明るみに出された生活、したがって現実に体験された唯一の生活、それこそが文学である」という部分、また、「作家にとっての文体は、画家にとっての色彩と同様、テクニックの問題ではなくて、ヴィジョンの問題なのだ」という部分に、ボードレールフローベールマラルメランボーと同じような「新しい詩学」の表明が感じられるのではないかということをお話しました。プルーストの文章はとても濃厚でリアルです。細部の細部まで意味がいっぱい詰まっている感じです。次回は、そうした細部の魅力について、また別の部分を取り上げて紹介してみたいと思います。