今日は、まず前回とのつなぎの意味で、フローベール散文詩学あるいは純粋小説の考え方がうかがえる書簡テクストを紹介し、同時に、工藤庸子先生の『恋愛小説のレトリック――『ボヴァリー夫人』を読む』(1998年、東大出版会)から、言葉の物質性のレアリスムをめぐるコメント(「印刷された言葉自体が不気味にざらつく物となり、読む者の感覚に迫ってくる」同書p.51など)を拾って紹介しました。ボードレールと同じ1821年生まれのフローベールは、同じく1857年にボードレールの『悪の華』と一緒に『ボヴァリー夫人』で裁判にかけられました。この裁判は風俗紊乱というレベルをはるかに超えて、新しい文学表現の登場、文学言語の革命をしるしづける象徴的な事件だったように思います。つづいて、実際のフラグメントの読みに突入。有名な第2部第8章(まさしく作品のど真ん中、「山場」に当たるところ)、私の偏愛する「comices 農事共進会」の場面を、ゆっくりと読みました。空疎な政治の言説に、これまた紋切り型の恋愛の言説が交差するディスクールの二重奏、それが生み出すきわめてコミカルでシニカルな言語的「シンフォニーの効果」。何度読んでも面白い名場面です。ついでに、フローベールの実にコマゴマと綿密なシナリオ草稿の写真版(左頁に活字転写が見開きで載っている本)も紹介しました。ポーが言っていた「作品生成の舞台裏」を覗くと、言語芸術家のポイエイン(作ること)の実際の様子がヴィヴィッドに垣間見られて、とても興味深いものがあります。彼は、いつか、後世の人々に、それらの草稿が読まれるであろうことを、きっと意識していたのでしょうね。来週は、フローベール第2弾、『感情教育』についてお話したいと思います。