今日は、92行目まで、読みました。泉の水面に映る自分の映像を見るナルシスは不安と「懊悩」に駆られます(69行目のennuiは古典主義時代の強い意味が妥当します)。水面に映った自分の姿(見られる側)とそれを見る自分(見る側)とのあいだで緊張感が生まれます。fontaineをsonges qui me voyezやsombres espritsといった表現で言い換えながら、呼びかけが続きます(鏡のゲームになるので代名詞が何を受けているのか迷うところもありますが、こうした迷いもひとつの効果でしょう)。これまでの平韻とは違って、72行目から96行目までは交韻(89行目から92行目は抱擁韻)が用いられ、脚韻が変化するうえに、12音節詩句の連続に8音節詩句が混じりあうようになってきます。ナルシスの懊悩をドラマチックに表現するために、音と韻律の変化が工夫されている、つまり、形式が内容を表している典型的な部分といえるでしょう。では、また来週。