今日から、1935年3月2日にフランス哲学協会で行われたヴァレリーの講演「芸術についての考察」(『フランス哲学協会報』第35巻、1935年、pp.61-91. )の読みに入り、p.63の上から2行目まで読みました。芸術を体系的に語る美学には、古典主義美学とか歴史美学とか科学的美学とか、いろいろとあるけれども、自分は自分なりに語ろうというヴァレリーは、自分が、芸術に関する本を読んだり講演を聞いたりする場合には、自分の芸術作品享受能力を豊かにしてくれることだけを期待すると断言します。その際、作品不在でも感じられる「側面的快楽」(たとえば作品の歴史をめぐる知識など)は、それ自体としては興味深いが、自分の芸術享受能力を高めてくれる快楽ではないとしています。つまり、ヴァレリーにとって享受能力を高めてくれるのは、ひたすら作品と向き合って、作品を見るという、ヴァレリーの表現をもじって言えば「正面的快楽」の経験だけであるというわけです。p.62の下からp.63の上にかけての部分――自分が美術館行政の責任者になったら、画家の名前は全部取り去ってしまうだろう、知識によってではなく眼そのものによって作品を見よ、という部分――は、とても印象深いところです。今後、毎回3頁分程度は進むと思いますが、4〜5頁分を予習しておいてくださると幸いです。では、また来週。