今日は『ナジャ』のつづきです。1926年10月6日の夜、ドーフィーヌ広場の散歩の場面を、地図を参考にしながら、ゆっくりとたどってみました。過去現在未来を、そして、地上と地下を見とおすvoyanteとしてのナジャの不思議なホラーの世界。visionの眩暈を仕切りなしに生きるナジャに、寄り添う「私」はついていくことが困難です。ナジャが一分後の世界を予言し、それが見事に的中したとき、「私」は、黒かった窓が赤くなっただけのことと思うことにして、ひとつの限界のうちにとどまります(je me borne a convenir)、というか、とどまらざるをえません。「自由な精霊」であるナジャがもたらす驚異の「断崖型事実」は、こちらの世界にいる「私」を鍛えますが、最後の一線を越えることはできません。この物語が感動的なのは、不可思議が不可思議としての価値を失わず、断崖から落ちない「限度」がぎりぎりで守られている点にあるでしょう(落ちたら、どうなる?)。さて、次回はセリーヌの『夜の果てへの旅』を紹介します。この『旅』もまた奇妙にリアルです。パリの郊外の雰囲気は不思議と現代の郊外の風景と重なるように思われます。長編小説ですが、頑張れる方は、是非読みきってください。