今日はp.59の2行目まで読みました。言葉に辞書の意味しかなかったら、そして第二の言語が「言葉の確実性」を揺さぶりにやってこないとしたら、文学は存在しないだろう、という部分で、バルトはマラルメの言葉を引いています。「詩人の思考を表すのに仮説的にぴったりした言語というものがあるとしたら、文学者などはお払い箱となり、文学者とは誰でもよい誰かになってしまうだろう」。詩人が用いる道具の「不完全性」ゆえに、詩人の創造特権が存在理由を持つのだという部分は、わりとわかりやすかったのですが、そのあとの注2はよくわかりませんでした。読解の話で押してくれれば比較的理解もしやすいのですが、それが書くことと一緒になったあたりが難解でしたね。p.58では、文学作品が属する象徴言語が複数的言語であること、そのコードはあらゆる文学作品が多様な意味を持つようにできていることが語られます。さらに実用的言語の曖昧さと文学言語の曖昧さが比較され、前者は「状況」によってかなり明快になるが、後者はそうではない、とされて、論が続いていきます。次回はp.61の真ん中(節の終わり)まで読む予定です。けっこう難しい話が続きますが、なんとか頑張って読んでいきましょう。