今日はフローベール感情教育』を取り上げました。アルヌー夫人宅からの深夜の帰り道、フレデリックセーヌ川にかかるポン・ヌフ橋のうえで高揚する場面(空気を大きく吸い込んで、希望に満ちた可能態になりきる幸福なシーン)に特に注目しました。この場面の読解の例として、石井洋二郎著『パリ――都市の記憶を探る』(ちくま新書、1997年、pp. 50-51.)と小倉孝誠著『『感情教育』歴史・パリ・恋愛』(みすず書房、2005年、pp. 107-113.)、それから、ピエール・ブルデューの『芸術の規則』(スイユ、1992年、p. 79の地図)のコメントを紹介しました。橋というのは二つの世界を媒介する接点で、いろいろな「意味」が発生しやすい特権的なトポスだということが改めてわかりました。それと、どうでもいいような細部ですが、フローベール散文詩人的なところが少し感じられるように思われるひとつの表現に立ち止まりました(これは授業中に思いついたことです)。「教会の大時計が、呼びかける声のようにゆっくりと一時を打った」という一文です。「一時がゆっくりと鳴った」に当たる原文は、une heure sonna, lentement,となっています。ヴィルギュルではさまれた副詞lentementが浮き上がっています。つまり、鐘はlentementという音を発して鳴った、とも取れないでしょうか。これと似たような技法は、来週お話しするマラルメの詩にもよく見られます。言葉の発光とでもいったらよいのでしょうか、ボードレールといい、フローベールといい、テクストが艶めいて、リアルです。マラルメの詩も、難解なのですが、しかし、言葉の存在感が強烈でリアルです。では、また来週。